書き散らした小説置き場。剣と魔法のファンタジー他いろいろ。
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「どうして目を開けてしまうんです」
暗闇の中、微かに震えた声が落ちた。普段聞き慣れているより随分硬い声。そのせいで夜の帳に溶け消えぬまま、いつまでも鼓膜に残り続ける。
眼前には研ぎ澄まされた刃があった。喉元に向けられたそれがあるかなしかの光源をやたらと照り返すのは、支えているはずの手ががたがたと震えているせい。
「せめてあなたが眠っている間にと思ったのに、どうして」
「どうして、だと?」
覚醒し切らぬ頭の中が、ただ一つの感情で満たされていく。
「それはこっちの台詞だ!」
怒りのままに目の前の手を掴み、身体を起こすと同時に捩じ上げる。微かに響く呻き声、同時に布団が手放された凶器を受け止めて小さく跳ねた。すかさず枕元のライトを灯して確認する。
――成程、鋭いはずだ。凶器は普段使いの包丁だった。
犯人は項垂れたまま抵抗する素振りもない。落ちた包丁を拾い直す気配も見せず、黙ったまま俯いている。私は小さく息を吐いた。
「一応訊いておいてやる。おい青いの。お前は今、何をするつもりだった」
「はい、マスター」
ゆるゆると顔を上げ、そいつはまっすぐに視線を合わせてきた。
「あなたを殺すつもりでした」
小さいけれどきっぱりした声。それはもう、震えてはいなかった。
人間になりたいと望むようになったのは、いつの頃からだろう。ふわふわと形を成さぬまま漂っていた願い。そんなものが自分の中に在ることにすら気づいていなかったのに。
――その本を目にした瞬間、無自覚の願望は形を変えた。
「じゃあ、そのあやしげな本に殺人教唆の記述があったがために、こともあろうにお前は主の生命を脅かす行為に及んだと、そういうわけか」
こくりと頷く。『なりたいと思う種族の中で己に最も近しい存在を犠牲にすること』、それが書物に記された人間になるための方法だった。
「で? お前をトチ狂わせた本って一体どれよ?」
ここまで来て隠すこともない。素直に差し出した本を見て、マスターは盛大に吹き出した。
「おまっ、それ、一体どこから」
「マスターの本棚から」
「嘘吐け! そんな黒歴史、本棚に堂々と晒しておく度胸はないわ!!」
そこまでに悪し様に言われるほど酷い文献ではないように思う。黒魔術という現代において失われた論理体系を用いて己が願いを叶えようとする術。その方法を説く文面は淡々としていながら不思議なほど抗いがたい魅力に満ちていて、つい次々とページを読み進めてしまう。
「ですがマスター、この本結構書き込みが」
「(∩ ゚д゚)アーアーきこえなーい」
「これ絶対マスターの字ですよね、このちょっと癖のあるトメハネが中途半端な」
「なんだとコラ誰が中途半端だもっかい言ってみろ」
「ではこの本がマスターの私物だと認めるんですね」
「やーだーみーとーめーなーいー絶対認めないだって認めちゃったら私あやうく過去の自分の厨二心に寝首掻かれるところだったってことじゃんマジやだ何その死に方笑えなーい」
まったく聞く耳持たず。全身で聞かざるを示すかのように耳を塞いでしゃがみ込んだ主へ向けて、さらに言葉を重ねようとした時。
「そもそもどうして人間になんてなりたがったんだ」
逆に投げかけられた声は、先程までとは明らかに温度が違っていた。
「こんな汚くて、狡くて、どうしようもないものに、どうしてお前は好き好んでなりたがる」
ひやりとするほど真剣な声。
ああ、これはは誤魔化せない。
踞ったまま顔を上げようとしないマスターの傍にかがみ込んで、横合いから覗き込む。
「あなたが喜んでくれると思ったから」
ぴくりとマスターの指が跳ねた。
「あなたの笑う顔が見たかったから」
まだマスターは顔を上げてくれない。分かっている。今この人が笑ってなどいないことを。俺の願いは、この人を喜ばせはしないことを。
「なのに俺が人間になるためにはあなたを殺さなきゃならないと、その本には書いてあります。それが本当なら俺が人間になれた時にはもうあなたはいなくて、喜ばせることも笑ってもらうことも、一緒に歌うこともできない」
そして、分からなくなる。
「マスター、教えてください。俺は、どうすればいいんですか?」
「馬鹿が」
これ以上ないほど明確な罵倒が胸を貫いた。自分の腕に顔を埋めたまま視線だけで俺を睨み上げてくるマスターの瞳の、怖いほどの真剣さ。
「私は猫を愛している」
「……はぁ」
「おや、知らなかったのか。何ならあの生き物の魅力を懇切丁寧に一晩じっくり語ってやっても」
「いいえ、よく存じておりますので結構です」
間髪入れぬ俺の答えに不満げな舌打ちを返し、マスターは言葉を継いだ。
「まあいい。仮に私が猫になりたいと熱望したとする。愛してやまないあの生き物と同じ存在になりたいと願い、その願望を叶えるため心を鬼にして愛する飼い猫をこの手にかけたとする。私は猫になれると思うか?」
思わず言葉に詰まる。
「なれやしない。私がなれるのはせいぜい猫殺しの最低人間だ。お前はな、そんな最低のモノになりかけたんだ。私がそれを喜ぶと思うのか?」
返す言葉もなかった。自然と下がる視線の外で、マスターのお説教はなおも続く。
「人は醜い。他の動物よりできることが多い分、為すことばかり大きいくせに誰一人として齎される結果に責任を負えはしない」
鋭いばかりの語調が、一呼吸だけ途切れた。
「そんな人間がひとつだけ誇れるものがあるとするならば、それは文化だ」
声の温度が変わった。叱りつける厳しさから、諭す穏やかさへ。
「文化とは、人が触れるこの世のすべてを描き表して後の世にその時々の感情や息吹を伝えること。人は言葉、絵画、造形、音楽、ありとあらゆる手段で誰かに感動を伝えようとする生き物だ」
「音楽……?」
すぐ傍で頷く気配が伝わる。
「お前は歌うために作られた。人の身で創ることができる最も素晴らしいもののひとつを、お前は生まれながらに持っているんだよ」
上げかけた頭を乱暴に押さえつけられた。必要以上に力が入っている気がする。
「お前は私に喜んでほしい、笑ってほしいと言ったな」
「……はい」
「それはお前の心だろう?」
ああ、まただ。原因不明のエラー。胸の奥が熱い。
「心こそ人の宝だ。それを誰かに伝えたいと願うのならば、お前はもう立派に人の営みの中にいる」
エラーの暴走がおさまらない。こうやってマスターが傍にいる時にだけ発生するバグはどんどん増殖して、発するべき言葉を散り散りにして呑み込んでゆく。
「お前のために立派な曲を作ってやれる技量は私にはない。有名にも、多分なれない。それでも、お前に、私の心を託したいんだ」
喉奥から何かが、抑えがたく衝き上げてくる。
「他の何かになどならなくてもいい。今のままのお前が、私の宝だ」
ついに熱い塊が瞳から零れ落ちた。頭を押さえられたままで良かった。多分これは、見られてはいけないものだ。
「……まだ、私を殺したいか?」
「いいえ」
考えるより先に答えが飛び出していた。満足げな笑い声を微かに残して、マスターは俺の頭を解放した。
「ならば今回のことは不問に処す。二度とするなよ」
「はい」
柔らかな灯りが消された。暗闇の中でマスターがごそごそと寝床に潜り直す気配を感じても、頭は上げられなかった。
――多分これからずっと、この人には頭が上がらない。
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