書き散らした小説置き場。剣と魔法のファンタジー他いろいろ。
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凍えるような冷気に白い息が溶ける瞬間、斜め横からの日差しが目に痛いほど輝いて瞼の裏に残像を残した。
黒い、影。
いつまでも消えないそれの正体が己の中に潜む迷いだと、とうにレンギョウは気づいている。
アザミ崩御の報以来、皇帝軍側の動きは逐一報告されていた。レンギョウが魔法で作り上げた大亀裂を乗り越えるための吊り橋の建設。さらには、橋の落成に合わせて新帝の即位式が行われるという情報も。
吊り橋への対策は既に固まっていた。
即位式に合わせ、国王軍の主力を左右の吊り橋前に展開。中央正面にはレンギョウ自らが立ち、皇帝軍を牽制する。
勿論それしきのことで皇帝軍が萎縮して式典を取りやめるとは思っていない。眼前で強行されるであろう式の直後に、三基ある橋のうち正面の一基を魔法で落とす。向こう岸が混乱に陥ったところで、すかさず残った左右の橋を国王軍が渡り攻撃を仕掛ける。
新帝即位で上がった士気に冷水を浴びせるため、レンギョウ自身が提案した策だった。
犠牲を最小限に抑える為に魔法を遣う。それが『聖王』たる自分の役目。そう自覚すればするほど、レンギョウの心は沈んでいく。
今回の作戦について、イブキは一切口を挟まなかった。あの男のことだ、レンギョウに気を遣ったということはないだろう。黒い影を背負った男はレンギョウの出方を見極めているのだ。『聖王』であり、『新皇帝』の友人でもある、この自分の。
すっかり馴染みとなった鳩尾の痛み。小さく息を吐いてレンギョウは彼方の草原へ視線を向ける。
悩むな。迷うな。
しかし。
皇帝に会うことが親征の目的だった。アザミと会見し、この国のこれからのあり方を話し合う。それが長い間二人の領主の間で利用され続けてきた中立地帯の状況を改善すると同時に、ここまで緊迫してしまった両都間のいざこざを収束させる唯一の道であると。
それは相手がアサザになったところで同じはずだった。むしろ面識があるだけ話し合いは円滑に進むはず、そういう希望的観測さえ持っていた。
何度も考えた。アサザと同じ卓に着き、この国の未来を話し合うことを。
だが。
どんなに考えても、具体的な話し合いの内容が浮かんでこない。何を話せばいいのか、分からない。
自分は、『聖王』は、この国をどうしたい?
国王領の民を守りたいか? 躊躇いなく頷ける。
中立地帯を救いたいのか? 己にその力があるのなら。
皇帝領を滅ぼしたいのか? ……おそらく、違う。
ならばどうする。中立地帯が味方につけば、二つの領主の力の均衡など簡単に覆る。そもそもがこの小さな島に二つの領主が併存していること自体に無理があったのだ。ここでレンギョウやアサザが現在の問題を解決したとしても、時代が下れば必ず新しい問題が持ち上がり二人の領主は争い合うだろう。そして中立地帯が巻き込まれ、この島の民が死ぬ。
レンギョウは遠い未来のことにまで責任は持てない。その時代の問題はその時代に生きている人間に解決してもらうしかない。今、レンギョウがそうしているように。
だが遠い過去——創国の時代から続く矛盾には、そろそろ終止符を打っても良いのではないか。
時の霞の向こう側、垣間見た記憶。
真なる魔王・蓮が心から願ったのは一人の人間としての、当たり前の幸せだった。蓮が自らの命と幸せと引き換えにたぐり寄せようとした夢は、皮肉にも彼女を失ったことによって歪められ、ねじ曲げられて、今この時代の人間にまで絡みつく呪いとなってしまっている。
元の願いがどんなに尊く美しいものであったとしても、現在を生きる者の妨げになるのであれば——それはただの亡霊だ。
「陛下」
呼びかけに振り返ると、白銀の甲冑に身を包んだ兵が立っていた。
「皇帝軍に動きがあったようです」
「分かった」
恭しい所作を崩さないまま先導する国王兵の後ろ姿を、レンギョウは見つめる。主が迷いを抱えていることなど想像もしていないであろう、その背中。
ふと、問いかけたくなったのは何故だろう。己一人では結論の出ない、堂々巡りの自問自答を。
「おぬしは、余が皇帝を倒すことを望んでおるのか?」
白銀の国王兵はぴたりと足を止めた。一瞬の沈黙を経て返って来た声は、思いの外落ち着いている。
「陛下の島国統一を望む者は周囲に多くおります」
「そうか」
「しかし私は——必ずしもそれを望んでおりません」
レンギョウの眉がぴくりと跳ねた。
「何故だ?」
「不敬を申し上げました。申し訳ありません、どうかお忘れいただけますよう」
「咎めているわけではない。何故おぬしは余の統一を望まぬ?」
今度の間は間違いなく逡巡の時間だろう。一呼吸の後、白銀の兵はまっすぐレンギョウに向き直った。
「決して陛下が統べる国を望んでいないわけではありません。しかし私は、第三皇子の引き渡しに居合わせてしまった」
「……そうか。おぬし、あの時の」
「はい。スミレと申します」
第三皇子アカネの遺体を引き渡す際、皇帝兵の不意打ちを叩き落とした手槍の主。あの時レンギョウの身を守った手は、今きつく握りしめられて彼自身の胸へ置かれている。
「陛下をお護りすることが私の使命。それは今も変わらず私の誇りです。しかしあの時、陛下はご自身が危険に晒されたことより、皇子が害されたことやあの女戦士が悲しんでいることにお心を痛められていた」
レンギョウは何も言わずにスミレを見やる。否、何も言えなかった。
「皆は単純に陛下が皇帝を打倒してこの国を統一すればいいと言います。けれど私が知る陛下は、きっとそのようなことは望まないでしょう。ご自分の民と同様に、皇都の戦士たちにさえお心を寄せられるお方ですから」
俯き加減だったスミレの顔が上げられる。レンギョウを見つめ返す瞳はあくまで真摯で真っ直ぐだ。
「ですから私は、ただ陛下が心から望む道を歩まれることを願っております。どうぞ悔いを残されませぬよう」
「おぬし……」
「差し出がましいことを申しました。お許しくださいませ」
視線を切り頭を下げるスミレにレンギョウは頷く。もとより責めるつもりなどない。
「構わぬ。おぬしの心、嬉しく思う」
そう、嬉しい気持ちに偽りはない。だが同時に胃の腑に走る痛みもまた現実だった。
自分自身が望むこと。後悔しない選択。
それが、分からない。
しかし現実には迷っている時間などない。スミレはレンギョウを正確に先導した。出陣準備のため忙しく立ち働く兵士たちの隙間を縫って導かれた場所は、見晴らしのいい草原の一角だった。
「レン」
斥候の報告を受けていたシオンがレンギョウの到着に気づいて手招いた。
「動きがあったと聞いたが。式典の準備が始まったのか?」
「ええ。天幕を畳んで、隊列を整え始めている」
報告によると、隊列の真ん中の空間だけがぽっかりと空白になっているそうだ。おそらくそこで即位式を行うのであろう、という斥候の言葉に頷いて、レンギョウは次の指示を出す。
今朝動きがあることは分かっていたから、国王軍側も既に行動に出ている。戦力となる国王軍正規兵や中立地帯自警団は前方へ。中立地帯で合流し、国王と皇帝の交渉を見守ろうとついてきた義勇兵たちは天幕や食糧、資材を積んだ荷車部隊と一緒に後方へ。予め配置を分けておいたため、十二万という大所帯にも関わらず大きな混乱もなく整列は進んでいるようだった。
「よう陛下。護衛を置いて作戦会議とは感心しませんな」
見ると、今更のようにイブキが姿を現したところだった。ちらりと一瞥をくれ、レンギョウはすぐに北の空へと目を向ける。
「身辺におらぬ護衛などにいちいち伺いを立てる気にはなれぬ」
「え、いつも傍にいないの?」
シオンの当然すぎる疑問に答える気はないらしく、イブキはへらりと笑って誤魔化した。
「まぁまぁ。いざという時にはきちっと働くから堅いこと言うなよ。なぁ陛下?」
「そうだのう。おぬしにも今日はきっちり働いてもらわねばな」
今回の作戦ではレンギョウが最前線に立つ。正面の橋を落としてしまえば危険はほぼ皆無になるとはいえ、それまではどこよりも敵陣に近い位置に出ることになるのだ。当然、護衛役のイブキが果たす役割も大きくなる。
後ろで待機していたスミレの元に白銀鎧の兵が歩み寄った。二言三言の報告を受け、頷いたスミレが進み出る。
「陛下。白銀近侍、全隊準備が整いました」
恭しく頭を下げるスミレに頷き返し、自らの迷いを断ち切るようにレンギョウはきっぱりと宣言した。
「では、往くか」
整然と、粛々と、白銀鎧の隊列は進む。どれほど中立地帯の民を吸収しようと、自警団に主力を譲ろうと、最も傍近くで国王レンギョウを守るのは自分たちだと無言のうちに主張するかのような、乱れのない歩調で。
その静けさは周囲の自警団にも波及する。戦を目前に控えて全体に漂っていた浮ついた高揚感、それが最前列を占める国王軍精鋭を中心に鎮まり、適度な緊張を孕んだ空気へと塗り替えられてゆく。
国王軍の最前線、中央の吊り橋の正面でレンギョウは対岸を見つめていた。ここからは『聖王』の魔法が吊り橋を落とす瞬間を皇帝軍に見せつけるため、最も効果的な時機を見計らわねばならない。
橋を壊した直後の攻撃に備え、魔法部隊の貴族五名は予め左右の軍へ振り分けてあった。いざ戦端が開かれれば、魔法攻撃の要は彼らが担うことになる。
全軍の整列が終わる頃、十二万の軍勢は水を打ったように静まり返っていた。皆が固唾を呑んで見守る先、大亀裂の対岸では皇帝軍も布陣を完成させつつある。国王軍が全員北面——皇帝軍側を向いているのに対し、皇帝軍は必ずしもそうではなかった。
「こうも堂々と背を向けられると、正直複雑だのう」
苦笑まじりにレンギョウが一人ごちる。吊り橋の向こう、正面に整然と並んだ鋼色の兵たちは国王軍と同じく北を向いていた。勿論、皇帝軍の全員が背を向けているわけではない。レンギョウの位置からは見えないが、おそらく右側に配置された兵は西を向き、左側に配置された兵は東を向いているのだろう。
彼らの中心、斥候の報告にあった空白地帯から不思議な音が響いてきた。音域も節回しも統一されていない、けれど奇妙な一体感を持った、その旋律。
「破魔の弓鳴りか」
呟く声を拾い、レンギョウは傍らの護衛を見上げる。その視線に気づいたのか、イブキは軽く肩をすくめて亀裂の向こうに目をやった。
「先帝——と言っていいのかね。前回もこうやって”山の民”が弓弦を鳴らす中で戴冠したんだ」
レンギョウは無言で頷く。では、いよいよ即位式が始まったのだ。
皇帝軍十万は今、国王軍と対峙しているのではない。彼らが戴く新たな皇帝が誕生する瞬間を見届けようとしているのだ。
皇帝即位の式次第など、無論レンギョウの知識にはない。だが戦場での戴冠や即位が普通ではないことは間違いない。
皇帝アザミの予期せぬ死による混乱を最小限に留めるため、あくまで儀礼的に行われる式典。準備にかける時間もほとんどなかったはずだから、すべて終わるまでにそう時間はかからないはずだ。
即位式が終われば、目の前の鋼色は一斉に反転するだろう。新たな領主を戴いた高揚と歓喜のままに。
——そして、彼らを束ねる新領主こそがアサザなのだ。
「式が終わるまで陛下は撃ってこない、と確信してるみたいだな」
暗渠に落ちかけた思考をイブキの声が引き戻す。鷲鼻の男は彼方の皇帝軍へ眇めた眼差しを向けたままだ。
「何が言いたい」
きり、と胃が痛んだ。
「それが誰であろうとも、即位式の邪魔立てをするほど余は無粋ではない」
「何のことだ? 俺は別に何も言ってないぜ」
片眉を上げたイブキがしれっと答える。知らず吐いた息と一緒に、レンギョウの肩の力も抜けた。
「おぬしの言葉、誤解されやすいと言われぬか?」
「そうだな。モテモテの美男子だった頃、女の子によく言われたっけかな」
今も立派な美中年だけどな、と笑い混じりに続いた発言をあっさり聞き流して、レンギョウは再び対岸に注意を向ける。いつしか弓鳴りはやみ、不気味なほどの静寂が橋の向こうを覆っていた。
「それにしても、少々静かすぎるとは思わぬか」
「皇帝領は何につけ空気が重いから、こんなもんだと思うぜ」
「ふむ」
そんなものかと納得しかけた瞬間だった。
ざわ、と声なき声が走った。対岸の兵たちが静かにどよめき、息を呑む。
「——何だ?」
注視するレンギョウたち国王軍の眼前で、静かな波紋は皇帝軍の中心から端々へと広がっていく。微かなざわめきが次第に大きな快哉へ。意味を成さぬ声の集合の中、ふいによく通る声が叫んだ。
「皇帝陛下、万歳!」
思わずレンギョウは息を詰める。アサザが、即位した。
既に新帝を讃える声は対岸に満ちあふれていた。これまでの静寂が嘘のように熱狂し、口々にアサザの名を叫んでいる。
ふいに対岸の人垣が割れた。皇帝軍の中心から、レンギョウの眼前にある吊り橋まで伸びる一本道。できたばかりの通路に、鎧の群が一斉に向き直る。彼らが響かせる鈍い金属音が、威圧感を伴ってこちら側に立つ者の鼓膜を叩いた。
「反転、来るぞ! 敵襲に備えよ!!」
よく通る声の主はススキだろうか。橋の向こう側とは対照的な張りつめた静けさを保ったまま、国王軍は来るべき戦闘へ向けて緊張を高めていく。
最前線に立ったレンギョウは、鋼色の通路の先を見つめている。先陣を切るのは、あの若葉色の瞳の女戦士だろうか。それとも。
馬蹄の音が耳を叩く。最初は一騎。やや時を置いて、それは一気に群をなした轟きとなる。
通路の向こうに黒い点が見えた。後ろに続く鋼色の波とは明らかに違う色彩、紫の肩布が栗毛の馬上に翻る。
「……アサザ」
我知らず零れた呟きは希望か、絶望か。迫り来る現実に未だ確たる答えを掴めぬまま、レンギョウは右手を上げる。
夢で見た蓮の仕草を辿るように。
——あんたが迷った分だけ、兵は死ぬ。
いつかのイブキの声が耳を聾するほどに頭の中で響いている。
撃ちたくない。撃たなければ。
相反する心に震える指と視界。何とか目標の吊り橋を捉え、そこに落ちる雷を思い描く。十二万の命を預かる長として、魔法で彼らを束ねる聖王として、せめて己に課した任務は果たさねば。
上空に黒雲が湧き起こる。国王、皇帝双軍からどよめきが起きた。みるみる暗雲に覆われる空、畏怖も恐怖も圧する雷鳴が草原の空気を震わせる。
「来るな、皇帝! 余はおぬしを撃ちたくはない!」
この距離で、ましてこの雷鳴で、レンギョウの声が届くはずもない。だからアサザが笑ったように感じたのは間違いなく気のせいだ。
生ぬるい風がその場にいるすべてを撫で疾り、両軍の中間に位置する吊り橋へと収斂する。
一呼吸の後、天が吼えた。それが桁外れの雷鳴だと理解できた者はその場にどれほどいただろう。視界のすべてを白く染め上げ、稲妻は真っ直ぐに吊り橋を目指す。
瞬間、閃いた光。
雷より鋭いその光は地上に抜き放たれたもの。アサザが手にした抜き身の”茅”が、天空の残光を集めて燐光を放つ。
否、燐光は刀身自体から発せられていた。刃から零れた光は瞬く間に黒鎧の周辺に溢れ、一気に皇帝軍全体を覆いつくしていく。
圧力さえ伴った轟音がその場にいる全員を叩いた。人馬の悲鳴さえ呑み込んで、光と音がその場のすべてを支配する。
残響の中、レンギョウは伏せていた瞼を上げた。徐々に色彩を取り戻していく視界の隅、空の黒雲は早くも散じ始めている。地上に薄日が射した。弱い光が黒々と眼前の建造物の影を描き出す——縄一本損なわれてはいない、吊り橋の姿を。
「……何故」
呆然とレンギョウは呟く。確かにあの橋の破壊を願ったはず。
対岸に目を向ける。鋼色の兵団は健在のようだった。一様に踞り顔を伏せているのは、無意識に雷を避けようとしたせいだろう。戦場に慣れているはずの騎馬ですら棒を呑んだように立ち尽くしているのが見える。
その騎馬団の先頭、黒鎧姿の戦士を乗せた栗毛だけが首を上げ、耳を立てて静かに佇んでいた。その騎手の右手には抜き身の刃。
銀髪の聖王と、黒鎧の皇帝。広い草原でただ二人、顔を上げた領主たちの視線が交錯した。
呼びかけは声にならなかった。アサザの持つ刀から零れる燐光がふいに量を増し、見間違いようのない輪郭で中空に一つの姿を描いていく。
「……な」
燐光そのままの透き通るような白い肌、人形のように整った目鼻立ち、冷たさを帯びた銀青色の瞳、そして滝のように流れ落ちる長く豊かな銀髪。目を見張るレンギョウ自身とよく似た、けれど決定的に温度の違う微笑がそれの頬に浮かぶ。
『ようやく逢えたな、魔王の末裔よ』
響いた声に確かに聞き覚えがあった。いつかの夢の中、幼さを帯びた娘の面影が瞬時に浮かぶ。
「まさか……御先祖様!?」
レンギョウの声に満足そうな表情を見せ、それはふわりと空へと飛び立った。レンギョウを、アサザを、彼らが率いる兵たちを悠然と見回して、その姿を見せつけるかのように細い両腕を広げる。
『再び戦場に顕現叶いしこと、心から嬉しく思う。我が名は破魔刀”茅”。魔法により創られ、魔法を破るために存在するもの』
”茅”の声は決して大きくはない。しかし楽しげな色さえ帯びたそれは両軍の隅々まで響き、聞き逃しようのない明瞭さで聞く者の耳に届く。
『我の力を信じるも信じぬも自由。だが見ての通り雷の後も橋は健在だ。のう?』
ざわ、と浮き足立ったのは国王軍。動揺が細波のように広がる様に隠しきれない愉悦を滲ませて、光の化生は婉然たる笑みを浮かべた。
『橋は我が守った。我の前で魔法は効かぬ』
今度反応したのは皇帝軍の方。魔法への畏怖で萎縮していた手足に力が戻ったのか、背筋を伸ばして天へ、”茅”へと吼える。その瞳にしっかりと対岸の国王軍を見据えて。
『己の無力をとくと知るがいい、聖王よ』
重い蹄鉄の響きが”茅”の声に重なった。突撃を再開した皇帝軍が一斉に三つの橋を目指して動き出した。
中央の橋を最初に駆け抜けたのはアサザだった。若葉色の飾り紐をつけた兜がその後を追う。
「こりゃまずい。陛下、退くぞ」
イブキに腕を掴まれても、レンギョウは上空に縫い止められた視線を逸らすことが出来なかった。そこに居る自分に、夢の中の少女によく似た、悪意に満ちた眼差し。
「何故……どうして、貴女が」
知らず零した言葉が、迫り来る蹄鉄の轟音にかき消される。
——皇帝軍、進軍開始。
<予告編>
”山の民”が奏でる破魔の旋律。
幼い両手に抱えられた冠に、
息を詰めて見守る兵たちに、
アサザは問う。
「皇帝とは、何だ」
皇帝になりたいと思ったことなど一度もない。
けれど。
守りたいものがあった。
守れなかったものがある。
だからこそ。
「力を貸してほしい。この国の、未来のために」
『DOUBLE LORDS』結章3、
黒鎧の戦士が駆け抜けた橋は
並び立つ二人の領主が目指す未来へと続く道なのか。
——長い物語の終わりが、始まる。
黒い、影。
いつまでも消えないそれの正体が己の中に潜む迷いだと、とうにレンギョウは気づいている。
アザミ崩御の報以来、皇帝軍側の動きは逐一報告されていた。レンギョウが魔法で作り上げた大亀裂を乗り越えるための吊り橋の建設。さらには、橋の落成に合わせて新帝の即位式が行われるという情報も。
吊り橋への対策は既に固まっていた。
即位式に合わせ、国王軍の主力を左右の吊り橋前に展開。中央正面にはレンギョウ自らが立ち、皇帝軍を牽制する。
勿論それしきのことで皇帝軍が萎縮して式典を取りやめるとは思っていない。眼前で強行されるであろう式の直後に、三基ある橋のうち正面の一基を魔法で落とす。向こう岸が混乱に陥ったところで、すかさず残った左右の橋を国王軍が渡り攻撃を仕掛ける。
新帝即位で上がった士気に冷水を浴びせるため、レンギョウ自身が提案した策だった。
犠牲を最小限に抑える為に魔法を遣う。それが『聖王』たる自分の役目。そう自覚すればするほど、レンギョウの心は沈んでいく。
今回の作戦について、イブキは一切口を挟まなかった。あの男のことだ、レンギョウに気を遣ったということはないだろう。黒い影を背負った男はレンギョウの出方を見極めているのだ。『聖王』であり、『新皇帝』の友人でもある、この自分の。
すっかり馴染みとなった鳩尾の痛み。小さく息を吐いてレンギョウは彼方の草原へ視線を向ける。
悩むな。迷うな。
しかし。
皇帝に会うことが親征の目的だった。アザミと会見し、この国のこれからのあり方を話し合う。それが長い間二人の領主の間で利用され続けてきた中立地帯の状況を改善すると同時に、ここまで緊迫してしまった両都間のいざこざを収束させる唯一の道であると。
それは相手がアサザになったところで同じはずだった。むしろ面識があるだけ話し合いは円滑に進むはず、そういう希望的観測さえ持っていた。
何度も考えた。アサザと同じ卓に着き、この国の未来を話し合うことを。
だが。
どんなに考えても、具体的な話し合いの内容が浮かんでこない。何を話せばいいのか、分からない。
自分は、『聖王』は、この国をどうしたい?
国王領の民を守りたいか? 躊躇いなく頷ける。
中立地帯を救いたいのか? 己にその力があるのなら。
皇帝領を滅ぼしたいのか? ……おそらく、違う。
ならばどうする。中立地帯が味方につけば、二つの領主の力の均衡など簡単に覆る。そもそもがこの小さな島に二つの領主が併存していること自体に無理があったのだ。ここでレンギョウやアサザが現在の問題を解決したとしても、時代が下れば必ず新しい問題が持ち上がり二人の領主は争い合うだろう。そして中立地帯が巻き込まれ、この島の民が死ぬ。
レンギョウは遠い未来のことにまで責任は持てない。その時代の問題はその時代に生きている人間に解決してもらうしかない。今、レンギョウがそうしているように。
だが遠い過去——創国の時代から続く矛盾には、そろそろ終止符を打っても良いのではないか。
時の霞の向こう側、垣間見た記憶。
真なる魔王・蓮が心から願ったのは一人の人間としての、当たり前の幸せだった。蓮が自らの命と幸せと引き換えにたぐり寄せようとした夢は、皮肉にも彼女を失ったことによって歪められ、ねじ曲げられて、今この時代の人間にまで絡みつく呪いとなってしまっている。
元の願いがどんなに尊く美しいものであったとしても、現在を生きる者の妨げになるのであれば——それはただの亡霊だ。
「陛下」
呼びかけに振り返ると、白銀の甲冑に身を包んだ兵が立っていた。
「皇帝軍に動きがあったようです」
「分かった」
恭しい所作を崩さないまま先導する国王兵の後ろ姿を、レンギョウは見つめる。主が迷いを抱えていることなど想像もしていないであろう、その背中。
ふと、問いかけたくなったのは何故だろう。己一人では結論の出ない、堂々巡りの自問自答を。
「おぬしは、余が皇帝を倒すことを望んでおるのか?」
白銀の国王兵はぴたりと足を止めた。一瞬の沈黙を経て返って来た声は、思いの外落ち着いている。
「陛下の島国統一を望む者は周囲に多くおります」
「そうか」
「しかし私は——必ずしもそれを望んでおりません」
レンギョウの眉がぴくりと跳ねた。
「何故だ?」
「不敬を申し上げました。申し訳ありません、どうかお忘れいただけますよう」
「咎めているわけではない。何故おぬしは余の統一を望まぬ?」
今度の間は間違いなく逡巡の時間だろう。一呼吸の後、白銀の兵はまっすぐレンギョウに向き直った。
「決して陛下が統べる国を望んでいないわけではありません。しかし私は、第三皇子の引き渡しに居合わせてしまった」
「……そうか。おぬし、あの時の」
「はい。スミレと申します」
第三皇子アカネの遺体を引き渡す際、皇帝兵の不意打ちを叩き落とした手槍の主。あの時レンギョウの身を守った手は、今きつく握りしめられて彼自身の胸へ置かれている。
「陛下をお護りすることが私の使命。それは今も変わらず私の誇りです。しかしあの時、陛下はご自身が危険に晒されたことより、皇子が害されたことやあの女戦士が悲しんでいることにお心を痛められていた」
レンギョウは何も言わずにスミレを見やる。否、何も言えなかった。
「皆は単純に陛下が皇帝を打倒してこの国を統一すればいいと言います。けれど私が知る陛下は、きっとそのようなことは望まないでしょう。ご自分の民と同様に、皇都の戦士たちにさえお心を寄せられるお方ですから」
俯き加減だったスミレの顔が上げられる。レンギョウを見つめ返す瞳はあくまで真摯で真っ直ぐだ。
「ですから私は、ただ陛下が心から望む道を歩まれることを願っております。どうぞ悔いを残されませぬよう」
「おぬし……」
「差し出がましいことを申しました。お許しくださいませ」
視線を切り頭を下げるスミレにレンギョウは頷く。もとより責めるつもりなどない。
「構わぬ。おぬしの心、嬉しく思う」
そう、嬉しい気持ちに偽りはない。だが同時に胃の腑に走る痛みもまた現実だった。
自分自身が望むこと。後悔しない選択。
それが、分からない。
しかし現実には迷っている時間などない。スミレはレンギョウを正確に先導した。出陣準備のため忙しく立ち働く兵士たちの隙間を縫って導かれた場所は、見晴らしのいい草原の一角だった。
「レン」
斥候の報告を受けていたシオンがレンギョウの到着に気づいて手招いた。
「動きがあったと聞いたが。式典の準備が始まったのか?」
「ええ。天幕を畳んで、隊列を整え始めている」
報告によると、隊列の真ん中の空間だけがぽっかりと空白になっているそうだ。おそらくそこで即位式を行うのであろう、という斥候の言葉に頷いて、レンギョウは次の指示を出す。
今朝動きがあることは分かっていたから、国王軍側も既に行動に出ている。戦力となる国王軍正規兵や中立地帯自警団は前方へ。中立地帯で合流し、国王と皇帝の交渉を見守ろうとついてきた義勇兵たちは天幕や食糧、資材を積んだ荷車部隊と一緒に後方へ。予め配置を分けておいたため、十二万という大所帯にも関わらず大きな混乱もなく整列は進んでいるようだった。
「よう陛下。護衛を置いて作戦会議とは感心しませんな」
見ると、今更のようにイブキが姿を現したところだった。ちらりと一瞥をくれ、レンギョウはすぐに北の空へと目を向ける。
「身辺におらぬ護衛などにいちいち伺いを立てる気にはなれぬ」
「え、いつも傍にいないの?」
シオンの当然すぎる疑問に答える気はないらしく、イブキはへらりと笑って誤魔化した。
「まぁまぁ。いざという時にはきちっと働くから堅いこと言うなよ。なぁ陛下?」
「そうだのう。おぬしにも今日はきっちり働いてもらわねばな」
今回の作戦ではレンギョウが最前線に立つ。正面の橋を落としてしまえば危険はほぼ皆無になるとはいえ、それまではどこよりも敵陣に近い位置に出ることになるのだ。当然、護衛役のイブキが果たす役割も大きくなる。
後ろで待機していたスミレの元に白銀鎧の兵が歩み寄った。二言三言の報告を受け、頷いたスミレが進み出る。
「陛下。白銀近侍、全隊準備が整いました」
恭しく頭を下げるスミレに頷き返し、自らの迷いを断ち切るようにレンギョウはきっぱりと宣言した。
「では、往くか」
整然と、粛々と、白銀鎧の隊列は進む。どれほど中立地帯の民を吸収しようと、自警団に主力を譲ろうと、最も傍近くで国王レンギョウを守るのは自分たちだと無言のうちに主張するかのような、乱れのない歩調で。
その静けさは周囲の自警団にも波及する。戦を目前に控えて全体に漂っていた浮ついた高揚感、それが最前列を占める国王軍精鋭を中心に鎮まり、適度な緊張を孕んだ空気へと塗り替えられてゆく。
国王軍の最前線、中央の吊り橋の正面でレンギョウは対岸を見つめていた。ここからは『聖王』の魔法が吊り橋を落とす瞬間を皇帝軍に見せつけるため、最も効果的な時機を見計らわねばならない。
橋を壊した直後の攻撃に備え、魔法部隊の貴族五名は予め左右の軍へ振り分けてあった。いざ戦端が開かれれば、魔法攻撃の要は彼らが担うことになる。
全軍の整列が終わる頃、十二万の軍勢は水を打ったように静まり返っていた。皆が固唾を呑んで見守る先、大亀裂の対岸では皇帝軍も布陣を完成させつつある。国王軍が全員北面——皇帝軍側を向いているのに対し、皇帝軍は必ずしもそうではなかった。
「こうも堂々と背を向けられると、正直複雑だのう」
苦笑まじりにレンギョウが一人ごちる。吊り橋の向こう、正面に整然と並んだ鋼色の兵たちは国王軍と同じく北を向いていた。勿論、皇帝軍の全員が背を向けているわけではない。レンギョウの位置からは見えないが、おそらく右側に配置された兵は西を向き、左側に配置された兵は東を向いているのだろう。
彼らの中心、斥候の報告にあった空白地帯から不思議な音が響いてきた。音域も節回しも統一されていない、けれど奇妙な一体感を持った、その旋律。
「破魔の弓鳴りか」
呟く声を拾い、レンギョウは傍らの護衛を見上げる。その視線に気づいたのか、イブキは軽く肩をすくめて亀裂の向こうに目をやった。
「先帝——と言っていいのかね。前回もこうやって”山の民”が弓弦を鳴らす中で戴冠したんだ」
レンギョウは無言で頷く。では、いよいよ即位式が始まったのだ。
皇帝軍十万は今、国王軍と対峙しているのではない。彼らが戴く新たな皇帝が誕生する瞬間を見届けようとしているのだ。
皇帝即位の式次第など、無論レンギョウの知識にはない。だが戦場での戴冠や即位が普通ではないことは間違いない。
皇帝アザミの予期せぬ死による混乱を最小限に留めるため、あくまで儀礼的に行われる式典。準備にかける時間もほとんどなかったはずだから、すべて終わるまでにそう時間はかからないはずだ。
即位式が終われば、目の前の鋼色は一斉に反転するだろう。新たな領主を戴いた高揚と歓喜のままに。
——そして、彼らを束ねる新領主こそがアサザなのだ。
「式が終わるまで陛下は撃ってこない、と確信してるみたいだな」
暗渠に落ちかけた思考をイブキの声が引き戻す。鷲鼻の男は彼方の皇帝軍へ眇めた眼差しを向けたままだ。
「何が言いたい」
きり、と胃が痛んだ。
「それが誰であろうとも、即位式の邪魔立てをするほど余は無粋ではない」
「何のことだ? 俺は別に何も言ってないぜ」
片眉を上げたイブキがしれっと答える。知らず吐いた息と一緒に、レンギョウの肩の力も抜けた。
「おぬしの言葉、誤解されやすいと言われぬか?」
「そうだな。モテモテの美男子だった頃、女の子によく言われたっけかな」
今も立派な美中年だけどな、と笑い混じりに続いた発言をあっさり聞き流して、レンギョウは再び対岸に注意を向ける。いつしか弓鳴りはやみ、不気味なほどの静寂が橋の向こうを覆っていた。
「それにしても、少々静かすぎるとは思わぬか」
「皇帝領は何につけ空気が重いから、こんなもんだと思うぜ」
「ふむ」
そんなものかと納得しかけた瞬間だった。
ざわ、と声なき声が走った。対岸の兵たちが静かにどよめき、息を呑む。
「——何だ?」
注視するレンギョウたち国王軍の眼前で、静かな波紋は皇帝軍の中心から端々へと広がっていく。微かなざわめきが次第に大きな快哉へ。意味を成さぬ声の集合の中、ふいによく通る声が叫んだ。
「皇帝陛下、万歳!」
思わずレンギョウは息を詰める。アサザが、即位した。
既に新帝を讃える声は対岸に満ちあふれていた。これまでの静寂が嘘のように熱狂し、口々にアサザの名を叫んでいる。
ふいに対岸の人垣が割れた。皇帝軍の中心から、レンギョウの眼前にある吊り橋まで伸びる一本道。できたばかりの通路に、鎧の群が一斉に向き直る。彼らが響かせる鈍い金属音が、威圧感を伴ってこちら側に立つ者の鼓膜を叩いた。
「反転、来るぞ! 敵襲に備えよ!!」
よく通る声の主はススキだろうか。橋の向こう側とは対照的な張りつめた静けさを保ったまま、国王軍は来るべき戦闘へ向けて緊張を高めていく。
最前線に立ったレンギョウは、鋼色の通路の先を見つめている。先陣を切るのは、あの若葉色の瞳の女戦士だろうか。それとも。
馬蹄の音が耳を叩く。最初は一騎。やや時を置いて、それは一気に群をなした轟きとなる。
通路の向こうに黒い点が見えた。後ろに続く鋼色の波とは明らかに違う色彩、紫の肩布が栗毛の馬上に翻る。
「……アサザ」
我知らず零れた呟きは希望か、絶望か。迫り来る現実に未だ確たる答えを掴めぬまま、レンギョウは右手を上げる。
夢で見た蓮の仕草を辿るように。
——あんたが迷った分だけ、兵は死ぬ。
いつかのイブキの声が耳を聾するほどに頭の中で響いている。
撃ちたくない。撃たなければ。
相反する心に震える指と視界。何とか目標の吊り橋を捉え、そこに落ちる雷を思い描く。十二万の命を預かる長として、魔法で彼らを束ねる聖王として、せめて己に課した任務は果たさねば。
上空に黒雲が湧き起こる。国王、皇帝双軍からどよめきが起きた。みるみる暗雲に覆われる空、畏怖も恐怖も圧する雷鳴が草原の空気を震わせる。
「来るな、皇帝! 余はおぬしを撃ちたくはない!」
この距離で、ましてこの雷鳴で、レンギョウの声が届くはずもない。だからアサザが笑ったように感じたのは間違いなく気のせいだ。
生ぬるい風がその場にいるすべてを撫で疾り、両軍の中間に位置する吊り橋へと収斂する。
一呼吸の後、天が吼えた。それが桁外れの雷鳴だと理解できた者はその場にどれほどいただろう。視界のすべてを白く染め上げ、稲妻は真っ直ぐに吊り橋を目指す。
瞬間、閃いた光。
雷より鋭いその光は地上に抜き放たれたもの。アサザが手にした抜き身の”茅”が、天空の残光を集めて燐光を放つ。
否、燐光は刀身自体から発せられていた。刃から零れた光は瞬く間に黒鎧の周辺に溢れ、一気に皇帝軍全体を覆いつくしていく。
圧力さえ伴った轟音がその場にいる全員を叩いた。人馬の悲鳴さえ呑み込んで、光と音がその場のすべてを支配する。
残響の中、レンギョウは伏せていた瞼を上げた。徐々に色彩を取り戻していく視界の隅、空の黒雲は早くも散じ始めている。地上に薄日が射した。弱い光が黒々と眼前の建造物の影を描き出す——縄一本損なわれてはいない、吊り橋の姿を。
「……何故」
呆然とレンギョウは呟く。確かにあの橋の破壊を願ったはず。
対岸に目を向ける。鋼色の兵団は健在のようだった。一様に踞り顔を伏せているのは、無意識に雷を避けようとしたせいだろう。戦場に慣れているはずの騎馬ですら棒を呑んだように立ち尽くしているのが見える。
その騎馬団の先頭、黒鎧姿の戦士を乗せた栗毛だけが首を上げ、耳を立てて静かに佇んでいた。その騎手の右手には抜き身の刃。
銀髪の聖王と、黒鎧の皇帝。広い草原でただ二人、顔を上げた領主たちの視線が交錯した。
呼びかけは声にならなかった。アサザの持つ刀から零れる燐光がふいに量を増し、見間違いようのない輪郭で中空に一つの姿を描いていく。
「……な」
燐光そのままの透き通るような白い肌、人形のように整った目鼻立ち、冷たさを帯びた銀青色の瞳、そして滝のように流れ落ちる長く豊かな銀髪。目を見張るレンギョウ自身とよく似た、けれど決定的に温度の違う微笑がそれの頬に浮かぶ。
『ようやく逢えたな、魔王の末裔よ』
響いた声に確かに聞き覚えがあった。いつかの夢の中、幼さを帯びた娘の面影が瞬時に浮かぶ。
「まさか……御先祖様!?」
レンギョウの声に満足そうな表情を見せ、それはふわりと空へと飛び立った。レンギョウを、アサザを、彼らが率いる兵たちを悠然と見回して、その姿を見せつけるかのように細い両腕を広げる。
『再び戦場に顕現叶いしこと、心から嬉しく思う。我が名は破魔刀”茅”。魔法により創られ、魔法を破るために存在するもの』
”茅”の声は決して大きくはない。しかし楽しげな色さえ帯びたそれは両軍の隅々まで響き、聞き逃しようのない明瞭さで聞く者の耳に届く。
『我の力を信じるも信じぬも自由。だが見ての通り雷の後も橋は健在だ。のう?』
ざわ、と浮き足立ったのは国王軍。動揺が細波のように広がる様に隠しきれない愉悦を滲ませて、光の化生は婉然たる笑みを浮かべた。
『橋は我が守った。我の前で魔法は効かぬ』
今度反応したのは皇帝軍の方。魔法への畏怖で萎縮していた手足に力が戻ったのか、背筋を伸ばして天へ、”茅”へと吼える。その瞳にしっかりと対岸の国王軍を見据えて。
『己の無力をとくと知るがいい、聖王よ』
重い蹄鉄の響きが”茅”の声に重なった。突撃を再開した皇帝軍が一斉に三つの橋を目指して動き出した。
中央の橋を最初に駆け抜けたのはアサザだった。若葉色の飾り紐をつけた兜がその後を追う。
「こりゃまずい。陛下、退くぞ」
イブキに腕を掴まれても、レンギョウは上空に縫い止められた視線を逸らすことが出来なかった。そこに居る自分に、夢の中の少女によく似た、悪意に満ちた眼差し。
「何故……どうして、貴女が」
知らず零した言葉が、迫り来る蹄鉄の轟音にかき消される。
——皇帝軍、進軍開始。
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<予告編>
”山の民”が奏でる破魔の旋律。
幼い両手に抱えられた冠に、
息を詰めて見守る兵たちに、
アサザは問う。
「皇帝とは、何だ」
皇帝になりたいと思ったことなど一度もない。
けれど。
守りたいものがあった。
守れなかったものがある。
だからこそ。
「力を貸してほしい。この国の、未来のために」
『DOUBLE LORDS』結章3、
黒鎧の戦士が駆け抜けた橋は
並び立つ二人の領主が目指す未来へと続く道なのか。
——長い物語の終わりが、始まる。
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