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書き散らした小説置き場。剣と魔法のファンタジー他いろいろ。
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転章13読了後を推奨します

【メインキャスト】
・キヌア
・梓

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 哀しいほど美しく、夜空は桜色に煙っていた。深藍の夜を切り取っているのは、竣工したばかりの宮を飾る真新しい瓦。ぬるく柔らかな春風が頬を撫で、枝から落ちた花弁をひらひらと舞い上げる。切り出されて間もない木材の香りが馥郁と漂う、そんな夜。
「宮の住み心地はいかがですか、梓」
「なんか落ち着かんよ。おら、天幕の方さ良がったなぁ」
 いつもと変わらぬ飾らない返答に、小さくキヌアは笑った。つられて梓も笑う。見上げた空の月が優しかった。
 『魔王』との最後の戦いから三ヶ月。全てが凍りついたあの牡丹雪の日から、既にそんなにも多くの月日が経っていた。二度と流れることなどないとさえ思っていた時は確実に刻まれ続け、こうして今年も桜は咲いた。
 北の港街は今、普請中の建物ばかりだ。まがりなりにも『戦士』と『魔王』の均衡が成り立ち、新しい秩序が生まれつつあるこの島。必要とされる新しい建物を造るため一気に需要が増えたせいで、元々樹木の少ない土地柄の島では木材が一気に不足した。新しく開けた航路に便を奪われ寂れがちだった港も、抜け目ない木材商人が大挙してやって来たせいで活気が戻っている。戦の終わりと久々の上客のおかげで、街は連日お祭騒ぎだった。
 けれど真っ先に新設された『戦士』の居宮の裏手にあるこの桜並木だけは、いつでも不思議な静けさに包まれていた。桜は上質の建材となる。この桜たちも遠からず切り倒され、新しい家々を支える柱となることだろう。
 けれど今、この並木を伐ろうと言う者など誰もいない。
 せめてこの花が散るまでは。誰もがそう思うほど、幾万の花弁は夜目にもあでやかだった。
 桜の時。美しくも儚い、この花の季節。
「……遅くにすみません。明日、貴女は忙しくなるというのに」
「なんもさ。おめさの元気そうな顔ば見れて良かったっけ」
 明日、梓は花嫁となる。この島を統べる領主の一人となった『戦士』藜の后へと。
 ”山の民”の村に藜がやって来た時から、いずれ来ると分かっていた日だった。村長の娘である梓に結婚相手を選ぶ自由などない。父が気に入った相手へ、その時村が必要とする相手へ、ただ黙って嫁ぐだけ。
 そう、割り切っていた。父から婚約の話を聞いた時も、ああついに来たかと思った程度。相手の顔さえも、あの黒鎧の、と思うくらいで大きな感慨はなかった。『戦士』側から書簡が届くたび詳細が決まっていく自分の婚儀の次第はどこか人事のようだった。どの道、本人の意向などお構いなしに事は進むのだ。現実感を欠いたまま準備は着々と進み、そのままついに下山の日を迎えた。
 何もかもそれで良かったのだ。けれど。
 今でも梓は覚えている。山を下りてすぐ、自分の婚礼の采配を進めていた軍師に初めて引き合わされた日のことを。
 長い道程の果てに辿り着いた港の倉庫街、傾きかけた太陽と凪いだ海はどこもかしこも眩しくて。慣れない潮風をやり過ごそうと瞼を細めた視界の中、ここまで案内してきた『戦士』の係に声をかけられて、水夫に指示を出していた金色の髪の青年が振り返る。目が合った瞬間、青年の色素の薄い眼差しが大きく見開かれた。鳶色のそこに映っていたのは見慣れた自分の顔。眇めることなど忘れた漆黒の瞳もまた、真っ直ぐに梓を見つめ返していた。
「明日の次第を少しでも報告しようと思いまして。ここのところ忙しかったせいで、貴女はまだ衣装もまともに見てはいないでしょう」
 そう。忙しかった。梓には山ほどの仕事が、役割がある。山奥の村から本格的に花嫁道具を運び出したり、これからの住まいとなる宮の造営を見回ったり。一方で花嫁の禊や、今後藜が行う政を助けるための勉強も続けなければならない。
 理由をつけて、ついに衣装を見ることなく今宵を迎えた。逃れられぬ宿命を纏う日。今あるほんのわずかの自由すら失われてしまう、その日。ぎりぎりまで目を逸らし続けてきた、その瞬間。
「婚礼衣装は綺麗ですよ。話が纏まってすぐに注文した大陸渡りの錦ですからね。あちこちやりくりして、ようやく買い付けたんです。職人の手仕事なので納品が間に合うか、最後まではらはらさせられました」
 どうして最初に村へ来たのが、この人ではなかったのだろう。『戦士』の三人はほとんどいつも一緒にいるくせに、肝心な時にだけ決まって別行動になる。
 弾んだ調子を繕うキヌアの表情を、梓はただじっと見つめた。今この瞬間を、少しでも深く胸に刻み込むかのように。そのひたむきな視線に気づいているのかいないのか、鳶色の瞳は舞い散る桜の花弁を映しながら立待の月を追っている。
「赤も、青も、白も入った色とりどりの生地ですよ。不吉な紫と、藜が着るだろう黒は外しておきましたけれど。きっと貴女には似合うはずです」
 明るかった声音がふと途切れた。長いようで短い、その沈黙。何かを振り切るようにきつく目を瞑って、キヌアは梓の顔を見ないまま呟く。
「貴女の晴れ姿を、この目で見れないことだけが残念です」
「……やっぱり、行っちまうんか」
 そんな予感はしていた。口では散々に言うくせにいつでも誰かを思いやっているその心を、梓は誰よりも傍で見てきた。
 藜を領主にする。その大義の為に、一体どれだけのものを犠牲にしてきたのか。
 船商人の実父から受け継いだ私財、数多くの部下、非情の軍師という呼び名、抑えつけてきた良心。たとえ梓が望んでも、藜が許しても、キヌアは決して自らを幸せにする道を選びはしないだろうと、心のどこかで分かっていた。
 だからこそ目が離せなかった。しっかりしているくせに危なっかしくて、自分のことなど二の次の、優しすぎるこの金髪の主から。
 最後の時の欠片がただ深深と降り積もる。桜色が一色に見えないのは何故だろう。白いもの、赤みを帯びたもの、濃いもの、薄いもの。それぞれがあるかなしかの風に翻るたびに、共に過ごした時の記憶がひらやかに舞い落ちていく。地面に落ちるのを拒むかのように、梓の目の前でまたひとひらの花びらがくるりと回った。その縁を銀色の月光が彩った。ほんの一瞬輪郭を現した儚い面影のように、花弁はすぐに視界の外へと流れていく。
「おらな、少し蓮が羨ましかったっけ」
 ふと思いついたことをそのまま口にしてみると、初めてキヌアがこちらを向いた。その瞳には怪訝そうな色が浮かんでいる。
「蓮が? どうしてまた」
 梓は小さく笑った。あんなにも哀しく、けれど鮮やかに己の想いを貫いた娘の名が、今この場面で出てくる意味。意外とこの人は鈍感なのだ。敵の動きなら裏の裏まで即座に読み取ってみせるくせに、何故こんなにも分かりやすい梓の気持ちは分かってくれないのか。
 ——だから、こんな不意打ちにも簡単に引っかかる。
 一気に詰めた距離は、これまで悩んでいた時間の長さに呆れるほど短かった。キヌアが息を呑むのを胸に押し当てた頬で、瞬時に固まった背筋を回した腕で、直に感じる。藜の腕へ飛び込んだ時の蓮もこんな気持ちだったのだろうか。幸せなのに哀しい、抱きしめた体の温み。
 蓮が羨ましかった。迷わずに飛び込めた勇気が。しっかりと受け止められた心が。
「梓」
 大いにうろたえた声が耳許で響く。少しだけ梓は腕に力を籠めた。たったそれだけで、能弁で知られた軍師の口はぴたりと閉ざされる。
「もう会えないんっしょ? だったら」
 せめて、温もりだけでも。この先自分を支えるだけの、確かな手ごたえを。
 明日、梓は婚礼を挙げる。今、この腕の中にいるのとは違う相手と。
 長く、長く、ためらった末に。
 キヌアの手が梓の肩に添えられた。突き放されるかと思わず身構えた身体を、思いの外繊細な掌が包み込む。
「心を理解されすぎる、というのも考えものですね。本当は何も言わずに出て行くつもりだったのに」
 苦笑混じりの声。聞き慣れているはずのそれがいつもより深く心に響くのはどうしてだろう。
「おめさば考えそうなことなんて、お見通しだっけ」
 見合わせた視線の中、これまで梓が見たこともない穏やかな顔でキヌアが笑った。肩から背中に下りてきた腕にぐっと力が籠もる。
「明日の衣装に桜色が混じっていなくて、良かった」
「ん」
 頷いて、梓はキヌアの肩に顔を埋める。気の利いた言葉など言えそうにない。だからもう、何も言いたくなかった。
「梓。貴女が好きでした」
「分かっとるって」
 分かっている。
 キヌアの言葉が過去形でなければならないのは、これから嫁ぐ梓の、迎える藜の、重荷にならないため。
 梓が答えを返してはならないのは、そんなキヌアの心を誰よりも理解しているから。
 『戦士』藜をこの島の領主にする。軍師キヌアが絵図を描き、”山の民”の長の名代である梓が実現のために手を貸した未来。間もなく叶うその時間の中、けれど三人の行く末が交じり合うことはない。
 それぞれが心を持つ人間であるがゆえに。三人共にいれば必ず、互いを裏切ってしまう日が来るのは目に見えているから。
 悲劇は一度で十分。梓もキヌアも、これ以上藜から大切な者を奪いたくはなかった。だから今、袂を分かつ。それは二人が共に辿り着いた、大義を通すための唯一の道。
 きっとこれから先、桜が咲くたび思い出す。花びらの雨と、月と、柔らかく揺れる春の風を。確かにこの腕の中にあった温もりを。たとえこの桜並木がなくなろうとも。二人の間が、どんなに遠くに離れても。
 明日、道は分かたれる。散りゆく桜のように、共に過ごした時間は戻らない。
 桜は散るからこそ愛でられる。永久の華より鮮やかな姿を描く刹那の花弁。戻らぬ過去も、共に歩めぬ未来も、今はない。
 この温みを頼りにしよう、と梓は思った。これから送ることになる長い年月の中、目には見えずとも寄り添い合い、支え合って。
 ふいに桜色がぼやけた。この島が描く未来を、この花景色を見ることもなく去っていった銀髪の娘の顔が瞼に浮かぶ。
 生きている。梓は、キヌアは、生きている。だから。
 これからも、それぞれの道を生きていく。
 降り落ちる桜色の吹雪の中、互いに無言で腕の力だけを強める。刹那に咲き誇るこの瞬間が少しでも長く続くよう、祈りを籠めて——
 立待の月が、綺麗な夜だった。


<2009年3月22日>



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