書き散らした小説置き場。剣と魔法のファンタジー他いろいろ。
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最期まで、解らぬ女だった。
初めて会ったのは婚儀の時。纏った花嫁衣裳にまるで似合わぬ、強い光を宿した瞳が心に残った。皇帝たる余をそのような瞳で見る女などそれまではいなかった。無論、男にも。
「余を畏れてはいないのか?」
見下ろした瞳に問い掛ける。
「別に」
それが答えだった。そして、それ以上の言葉はなかった。
当人同士が黙っていても華燭の典は進行する。
次に女と言葉を交わしたのは初夜の床の上でだった。
「……何故、余に抱かれる?」
媚びているわけでも、まして恋慕を帯びているわけでもないあの瞳で、女は無表情に言った。
「それが、先程交わした契約だろう」
その時、気づいた。女の瞳の光、これは誇りの光なのだと。
皇帝との婚儀すら契約と言い切るこの女に、余は強い興味を覚えた。
やがて子供が生まれた。アオイと名付けたその男児は、生まれつき弱い子だった。そう長くは保つまい、誰もがそう考えた中、あの女だけは見捨てなかった。そして女に応えるように子供は生き延びた。綱渡りのようではあったが、確実に死より生に近い道を歩み始めたその姿を、心底不思議に思ったことを今でも覚えている。
その頃、女は二人目の子を生んだ。その子供、アサザは健康な赤子だった。長じるにつれ戦士としての才にも恵まれていることが判ったので、余は養育を専門の者に任せようとした。だが、女が反対した。長子と同じく自らの手で育てると言い、頑として子供を手放そうとはしなかった。
そして、三人目の子が生まれた。二人目と同じく、丈夫な子だった。アカネという名を与えたその子供も、女は決して自分の傍から離さなかった。
子供らと共にいる時、女はよく笑っていた。余の前では一度も見せたことのないその表情を間近で見てみたい、そう思い始めたのは何時のことからか。
「笑ってみせよ」
一度だけ、女に命じた。
「……命令では、人の気持ちは変えられない」
そう言って、女は余に背を向けた。その声音に混じる憐れみに、余は気付かなかった。いや、気付かない振りをしていたのかもしれない。
それでもいいと思っていた。女は余の妻であり、これからも余の傍にいる、それだけは変わらぬ事実だと。
激震は突然に訪れた。
中立地帯にある村が盗賊の襲撃を受けた。皇帝領に近いその村から救援が皇都に求められる。よくある話だった。
しかし女は報告を受けてすぐに飛び出していった。得意の馬術で少数の手勢を引き連れ、最低限の物資を携えて被害のあった村へと。
わずかの人数とはいえ、まさかこんなに早く救援が来るとは思っていない盗賊は慌てた。浮き足立った盗賊共をさんざん追い散らして、一度は村に戻ったと聞いている。
運命を変えたのは、一本の矢だった。
土壇場で首尾を滅茶苦茶にされた盗賊が怨みを込めて放った矢は、まっすぐに女の背へと突き立った。
女を追って余が村に着いた頃には、女の瞼は二度と開くことはなくなっていた。
どれほどの時間、その顔を眺めていたのかは分からない。ゆっくりと、余は女の傍から立ち上がった。後にも先にも、この時ほど腰の剣の重みを感じた時はない。
それから、記憶は途切れる。次に憶えているのは、倒れ伏した盗賊共、血塗られた刃、そしてそれらをどこか冷めた目で眺めている余自身。返り血のせいか、手も頬もぬれぬれと気色が悪かった。
ふと見上げた視線の先には、中立地帯の草原が広がっていた。女が可愛がっていた馬が主を探して彷徨っている。
「馬はいいな。もし生まれ変われるのなら、馬になりたい」
女がかつて呟いた言葉が胸に蘇った。余に気付いた馬が近寄ってくる。どうやら数度だけ見に行った余を覚えていたらしい。その迷い子のような顔に、無性に腹が立った。
「馬は、好かぬ」
刃が翻る。悲鳴を上げて、馬は倒れた。動かなくなった獣を見下ろし、これで女も寂しくはなかろうと、そう思った。
それから数年が経った頃。女との間の二人目の子供に、戦士の嗜みとして子馬を与えた。
「名を、付けよ」
まだ小さいが、見事な栗毛を持つ牝の子馬。将来は立派に育つだろうことを予感させる、確かな生命力を宿した澄んだ瞳を持っていた。しばらく馬を見ていたアサザが言う。
「馬の名は、決めています」
「ほう。何という名だ」
「キキョウ、と」
——女の、名だった。
思わずアサザの瞳を見返す。そこには女と同じ、光があった。
「——よかろう。好きにするがいい」
余は子供と馬に背を向け、その場を後にした。
留まっては、いられなかった。
何かに向かって叫びたい衝動が襲う。胸に衝き上げてくる、この感情。
——これは、妬みだ。
女から子供へ、確かに受け継がれたあの光。だが、女から余に遺されたものは何だ?
余が欲して、手に入らなかったものなど何もない。
ただ一つ、あの女の心を除いては。
あの女の笑み、誇り、情。
どれ一つとして、余は得ることができなかった。にも関わらずそれらの全てを享受し、受け継いだ子供たちが妬ましかった。
何故余には与えられなかったのか。何故、何故。
そう問い掛ける心の中、一方ではどこかで理解していた。
——それが解らぬから、与えられなかったのだ。
答えのない問いを問い続けながら、答えではない答えを答え続けながら、それでも余は歩み続けた。皇帝として、止まることは許されぬ。例え真実の答えが見つからなくとも、余は余の道を往かねばならぬ。例えその先に答えなど存在せぬと解ってはいても——
あの笑顔を永遠に失った事実もまた、動かしようがないのだから。
<2007年9月16日>
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