書き散らした小説置き場。剣と魔法のファンタジー他いろいろ。
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——そう、それはすごいこと。
満開の林檎の花を背景に、その女性はそう言って笑った。
「別に、大したことではありません」
淡々と彼は答えた。年齢の割には表情が乏しいその顔を、女性が覗き込む。さらさらと音を立てて彼女の銀色の髪が肩から流れた。
「ふふ、そうかしら? お顔には褒めてほしいと書いてあってよ、コウリ」
指摘されて、まだ十歳にしかならない彼は慌ててそっぽを向いた。その仕草がいつも落ち着き払った彼にしては子供っぽい。そんなコウリの年相応の反応をくすくす笑いながら、女性はあくまで優雅に髪をかき上げる。
「貴方のように頼りになる人がいてくれるなら、これからの国王領は安泰ね」
「勿体ないお言葉です、レンゲ様」
女性——第七代国王レンゲは、背筋を伸ばしたコウリの亜麻色の髪を撫でた。
「レンゲでよくってよ、コウリ。貴方はヤナギの弟、つまり私のたった一人の義弟ではないですか」
「そういうわけには参りません」
「ふふ、お堅いこと」
細く長い指がコウリの髪から離れ、緩やかな衣に包まれた己の腹部に置かれた。心もち膨らんだそこを、しなやかな手が愛しげにさする。
「でも、この子にとってはきっといい先生になってくれるのでしょうね。楽しみだわ」
コウリは黙って頭を下げた。レンゲの身に宿るのは次の国王。年齢から考えて、恐らくコウリが一生を仕えることになる王だ。
コウリはそっと若き女王の横顔を盗み見た。今月、二十歳の誕生日を迎える。非の打ち所のない整った顔立ちに、王家特有の銀髪がこの上なく似合っていた。第二代国王より連綿と王家に受け継がれていながら、同じ血を分けたはずの貴族には決して顕れない、銀色の髪。その貴色で包まれた細い身体からは自然に気品と雅やかさが漂っている。涼やかな薄青の瞳は穏やかに笑み、今はまだあまり目立たない腹に向けられている。
「ねえコウリ、この子は一体どんな子に育つのかしら。多分髪と目の色は私と同じなのでしょうけど」
未来を思い描いて、レンゲはうっとりと目を閉じる。
「ヤナギのように優しくて、コウリのように賢い子だといいのだけれども。そして、見目が美しい子であれば良いわね」
「レンゲ様のお子です。美しくないわけがありません」
「まあ」
真剣なコウリの言葉に、レンゲはころころと笑った。
「それにしてもヤナギの遅いこと。一体どうしたのかしら」
「先程、重臣会議があると言っていましたから。少し様子を見て参りましょうか」
立ち上がりかけたコウリの視界に、木陰から姿を現した人影が映った。
「ごめんよ、待たせたね」
そう声をかけた若い男の顔を見て、レンゲの表情が輝く。
「ヤナギ、遅くてよ。妻を待たせるなんて一体どういうつもりかしら」
「ごめんってば。少し会議が長引いたんだ」
レンゲに一通り謝った後、ヤナギはコウリに向き直った。
「やあコウリ、法務大臣から聞いたよ。さっき大臣に口げんかで勝ったんだって?」
「口げんかでななく論争です、兄上。あの方の唱える説は穴だらけでしたので、少々私の見解を述べたまでです」
にこにことレンゲが会話に入る。
「本当にコウリは賢いわね。先程もそのことを褒めていたところだったのよ」
「そうだったのかい。これからもその調子で勉強を頑張るんだよ。そして僕やレンゲ、僕らの子供を助けてほしい」
そう言って、ヤナギはコウリの頭に手を置いた。その手はまだ背が伸び切る前のコウリにとって随分高い位置から下ろされているように感じられた。
あまり似てはいない兄弟だった。背丈が違いすぎるのは年齢の差から言って当然だが、他にも髪の色や顔のつくりに際立った違いがあった。
ヤナギの髪は淡い金、薄茶の瞳がいつも柔らかく微笑んでいる。総じて受ける印象は優しげで繊細だ。しかしその実優れた実務家でもある彼は、時に強い光をその瞳に浮かべることもあった。
対するコウリは瞳の色こそ兄と同じだが、やや鋭いそれにはいつも硬質の光が宿り、冷たい雰囲気を感じさせていた。滅多に笑わず、また怒りもせず、常に無表情のため年相応の無邪気さはまったくない。外見は子供なのに雰囲気は大人という、どこか危うい不均衡さを漂わせていた。
ヤナギは幼い頃から、同い年のレンゲの婚約者だった。現存する四つの貴族の家柄の中で、世継ぎの姫と同年代の男子はヤナギしかいなかったのだ。選択の余地のない婚約だったが、本人たちが好き合うようになったのが救いだった。前国王が崩じた後レンゲが即位し、一年後にめでたく成婚。以来ヤナギはレンゲを助けて政務の一部を担当している。元々素質があったのだろう、最近ではレンゲ自身より家臣からは頼りにされている。
自分も成長したら兄やレンゲを助け、二人の子供に仕えていくのだ——レンゲとヤナギに囲まれた幸せの中、疑うこともなくコウリはそう信じていた。
* * * * *
砕けた水晶の破片が散らばっていた。狂ったように泣き叫ぶ女の声がする。
ヤナギ、ヤナギ、ヤナギ——
地に赤黒く染み込んだ、血、血、血。
その真ん中に、かろうじて人の形を保った体が倒れている。銀髪を紅に染めたレンゲが、愛しい夫の名を呼びながら変わり果てた肉体をかき抱く。
ヤナギ、ああヤナギ、私——
涙の粒を零しながらも、薄蒼の瞳には何の感情も浮かんでいない。哀しみ、悔悟、そういったものを超越したそこが孕むのは、狂気の芽だった。
今、傍に行かなければレンゲは壊れる。
確信しつつもコウリは動けなかった。ヤナギは動かない。もう二度と動くことはない。
今自分が行かなくて誰が行く。そう思っても、やはり足は動かなかった。
これは、事故だ。
コウリの中で、コウリ自身の声が叫ぶ。
これは、事故だ。レンゲ様が気に病むことではない。
今日は王宮を挙げての大実験が行われる日だった。ヤナギが開発した魔力増幅装置。王族や貴族が持つ魔力を増幅させ、強化させるこの装置が完成すれば国王領にとって大きな進歩になるはずだった。これさえあれば、いざという時に皇帝に対抗する手段にもなる。軍事目的以外でも、それがもたらす恩恵は計り知れない。
そのため国王レンゲ自らが参加し、主だった貴族が立ち会う中、装置の実験は行われた。
しかし装置は不完全なものだった。レンゲが注いだ魔力を蓄えていた巨大な水晶。それが突如割れ、溢れた魔力が暴走したのだ。水が水源から海へと流れるように、怒涛と化した魔力は源であるレンゲとは逆の方向——見物人へと押し寄せた。
すべては一瞬だった。まばゆい閃光が消えた後、その場で立っていたのはレンゲとコウリだけだった。
コウリはまだ子供だから——
昨夜、ヤナギは笑ってそう言った。実験に参加することは許可できない。兄の言葉はそういう意味だった。コウリは不満だった。自分はまもなく十六になる。一体いつになればこの兄に、レンゲに、一人前として認められるのか。
自分も国王領の歴史を変える瞬間を見たい。子供じみているとは思ったが、そんな感情以上に自分もどんな形であれ実験に参加したいという気持ちの方が勝っていた。幸い、実験場は昔レンゲとよく遊んだ林檎の樹の近くだった。勝手知ったる己の庭、コウリはこっそり実験場がよく見える木陰に隠れた。
そして見た光、衝撃。結果的に木陰にいたことがコウリの命を救った。コウリの盾になった木は今、彼の背後で無残に真っ二つになった姿をさらしている。
レンゲにすぐに駆け寄れないのには、盗み見をしていた後ろめたさもある。恐怖で足が震えてもいる。
しかしそれ以上に、血まみれのレンゲは美しすぎた。凄艶と狂気が同居する、紅と銀。コウリは確かに、その光景に見とれていた。
「……うえ?」
遠くから、かすかに舌足らずな呼び声がする。
「ははうえ? ちちうえ……?」
少しずつ近づいてくる幼い足音に、コウリははっと我に返った。振り返り、銀色の小さな頭を藪の隙間に見つける。
「来てはなりません、レンギョウ様!」
はっ、とレンギョウが足を止める気配。
「コウリか? おぬし、どこにおるのだ?」
とてとてと、駆け寄ってくる足音。
「ははうえのおすがたがみえんのだ。どこにおられるのかのう?」
「……レンギョウ?」
幼い我が子の声が聞こえたのか。呟いたのは、表情のないレンゲ。
「レンギョウ……私の子……私と、ヤナギの子……」
くつくつとレンゲは笑う。喉の奥だけでの、その笑い。
「ヤナギを殺した私の……呪わしい私の力を受け継いだ、呪わしい子!!」
もはや笑い声は止まらない。
「レンギョウ! レンギョウ! 私の愛しい子! 私の憎らしい子!!」
聞こえてしまったか。ぴくり、と顔を上げ、レンギョウは表情を輝かせた。
「ははうえのおこえだ! ははうえ!」
四歳の子供の足に精一杯の速さで、レンギョウはレンゲに——つまりコウリに向かって近づいてくる。
「ははうえ——」
「なりません!!」
伸ばされた腕を引いて、コウリは小さなレンギョウを抱きしめた。自分の背で、腕で、もはや正気ではないレンゲの声が少しでも遮れるように祈りながら、コウリはレンギョウの耳をふさぐ。
「コウリ、なにをする。ははうえのおこえがきこえぬではないか」
あどけない抗議を無視して、コウリは腕にレンギョウを抱えたまま王宮へと走り出した。レンギョウを安全なところに連れて行かなければ——そう言い聞かせながら、その実誰よりも自分こそがレンゲから逃れたがっているということをコウリはどこかで知っていた。
追ってきているわけがない。
思いつつ、一度だけコウリは後ろを振り返った。
やはり、レンゲはいなかった。代わりに見えたのは、幼い日にレンゲに髪を撫でられた林檎の樹。王宮への一歩ごとに遠く、小さくなっていく。まるで過去の思い出が日を重ねるごとに遠くなっていくように——
その日から、国王領は狂王を戴くこととなった。
* * * * *
部屋の中は、射し込む斜陽を浴びて紅く染まっていた。白で統一されていたはずの清楚な調度はすべて、禍々しい彩りを帯びてコウリの前に立ちふさがっている。
名ばかりの国王となったレンゲがこの部屋に幽閉されてから、既に五年の歳月が流れていた。その間公式の場にはまだ幼いレンギョウが名代として立ち、実際の公務はコウリが取り仕切っている。
レンゲの心が戻る見込みはなかった。最愛の夫を殺めた己の魔力を呪い、その魔力を受け継いだレンギョウを憎み——レンゲは幾度も、その両方をこの世から消そうとした。身の安全を守るため、レンギョウは母に会うことを禁じられ、レンゲ自身にも常に監視の目が向けられることになった。
会いたくとも会えないレンギョウの代わりにと、最初は通っていたコウリの足も次第に遠ざかっていった。成長するに従って背が伸びたコウリに夫の面影を見るのか、訪れる彼をレンゲはヤナギと呼んで涙を流した。泣きながら悔悟と謝罪の言葉を零すレンゲの姿が辛くて、見ていられなかったのだ。
しかし今、彼は途轍もない後悔に襲われていた。
——自分がもっと気を配っていれば——
ぎり、と奥歯が鳴る。蒼白になるほどに握り締めた拳を振って、コウリは部屋へと足を踏み入れた。
それは突然の報せだった。
——陛下が、魔法を。
血の気を失った侍女が告げた一言を聞いて、コウリは執務机の椅子を蹴って立ち上がった。あの事件以来、レンゲが魔法を使うのはただ一つの目的のため。すなわち、自害を企てた時だけだ。気がついた時には廊下を走り、レンゲの部屋に向かっていた。広い王宮の中、息を切らして目的の部屋まで辿り着く。しかし、開け放された扉の前で足は止まる。
侍女の切迫した声が耳に蘇る。この扉の中には、あの日のような惨状が広がっているのかもしれない。
コウリの瞼にありありとヤナギの最期が浮かび上がった。血の海に横たわる、人だったモノ。
いや違う、その体の主はヤナギではない。地に長く広がった髪は銀色。長い長い銀髪を紅に染めた、美貌の狂王レンゲの顔を持つ死体——
次の瞬間、コウリは扉を潜っていた。怖くないといえば嘘になる。しかしあの凄艶な美しさを持つレンゲの姿を、他の誰にも見せたくはなかった。
紅に染まった部屋を、一歩一歩奥へと進む。広い寝室を覗き込んだ時、それは見えた。
部屋の中央に、銀色の髪に包まれた身体が倒れていた。予想に反して、そこに血の色はない。
「レンゲ様」
おそるおそる、一歩を踏み出す。無造作に床に放られた腕はぴくりともしない。また一歩、さらに一歩。よろめくように歩を進めたコウリは、レンゲの傍らで糸が切れたように膝をついた。
銀の髪を枕にして、レンゲは穏やかに微笑んでいた。蒼白の頬には慈しみが、もう動くことのない唇に満ち足りた幸せが浮かんでいる。まるで遠い過去の日に、あの林檎の木の下で夫を待っていた時のように。
突然、熱い塊がコウリの胸に突き上げてきた。やり場のない怒り、悲しみ、喪失感が堰を切ったように溢れ、心臓を襲った。泣くことさえ出来ずに、コウリはただその場を動けずにいた。
「——母上」
後ろからまだ幼さの残る声が掛けられたのは、どれほどの時が流れた後だったのか。ぎこちなく振り返ると、扉の下にレンギョウが立っている。数瞬ためらった後、レンギョウはゆっくりコウリの傍まで来て、母の横に跪いた。手を伸ばし、そっと母のそれに重ねる。
「冷たい、な」
小さな肩が震えた。引き結んだ唇から嗚咽が洩れる。
「母上——」
レンギョウの涙を、ぼんやりとコウリは眺めていた。泣くことのできるレンギョウを、羨ましく思った。
「レンギョウ様」
小さな肩をそっと抱き寄せて、コウリはその涙を受け止めた。せめて一滴でも、その涙が自分の目からも溢れるようにと願いながら。
「お気を確かに。今この瞬間より、名実共にこの国の国王は貴方様になられました。第八代国王にふさわしく、皆の前では涙を流されぬよう」
しかし、とコウリは続ける。
「今しばらくこの部屋には貴方様と私、そしてレンゲ様がおられるばかり。お気が済むまでお泣きになると良いでしょう。私が傍におりますゆえ、どうぞご安心を」
「コウリ……すまぬ」
声を殺して涙を流すレンギョウから、コウリは乾いたままの瞳を逸らした。自分が流せない分の涙はレンギョウが流してくれれば良い。その代わり、泣いているレンギョウは自分が守る。それがレンゲを守りきれなかった自分の責務だと、コウリは思った。
「レンギョウ様、これからは私が貴方様をお守りします。どんなことがあっても、貴方様の身は私が守り通します」
何故なら、レンギョウはレンゲの血を引く唯一の息子だから。一番守りたかった、しかしその気持ちから目を逸らし続けたレンゲはもういない。だからこそ、もう二度と後悔しないためにレンギョウを守り通す。その誓いを、レンゲにも聞いてほしいと思った。
もう一度、レンゲの穏やかな表情を見る。十年の歳月を経てなお、その顔はあの林檎の木の下で微笑んでいたそれと寸分違わぬ美しさと気高さに満ちていた。
ふと顔を上げると、出窓付きの大きな窓が見えた。西向きのそこからは夕暮れの光が斜めに射し込んでいる。
その遥か向こうに、あの林檎の木が見えた。あの事件以来、足を運ぶことのなくなった思い出の場所。この部屋でレンゲは、幸せだった思い出を眺めて暮らしていたのかもしれない。
落ち着いたら、またあの場所へ行ってみよう——
ぼんやりとコウリは考えた。レンゲと、ヤナギと、自分。三人の思い出の場所。ただ独りこの世に残された自分が二人を懐かしむのには、最もふさわしい場所のように思えた。
——林檎の木の下で待ってるわ。いつものように、ね。
秘密めかして囁くレンゲの声が聞こえたような気がした。その響きに良く似た声で、レンギョウが小さく母上、と呟いた。
<2005年6月28日>
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