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書き散らした小説置き場。剣と魔法のファンタジー他いろいろ。
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 長い夢を見ていた。ひどく儚い、硝子細工のような夢を。

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 アサザはぼんやりと窓を見上げた。朝日が容赦なく射し込むせいで瞼がぴりぴりと痛んだが、それ以上に広がる空の青さが胸に染みて思わず涙が滲んだ。
 幾世代を経ようとも、この島で起こるすべてを包み込む蒼穹。その色の深さを初めて知った気がした。
『やっとお目覚めか、寝坊助めが』
 青一色だった視界にふいに銀色が混じった。覗き込んできたのはカヤだ。夢の中の少女そっくりの口許には相変わらず不釣合いな嘲笑が刻まれている。しかしまっすぐにアサザが見つめ返した青銀の瞳に、今朝はわずかながら違う色調が含まれているように見えた。
『ようやく我が記憶を視ることを覚えたか。随分のろまだのう』
 しかし掴みかけた哀しみの残滓は、あっという間にいつも通りの滴るような悪意に包み隠されてしまう。挑発には無言のまま、アサザはおもむろに身体を起こした。どんな表情の変化も見過ごすまいと眇められる視線を断ち切るように、枕元に用意されていた水で殊更に大げさな仕草で顔を洗って見せる。
『まったく、いたぶり甲斐のない奴よ。魔王の末裔の方がまだしもからかい甲斐がある』
 呆れ混じりに呟く声までもが罠だったのだろうか。揺れた肩を見逃さず、カヤは小さく笑った。
『先程おぬしが見た夢。王も同じものを見ておるぞ』
 動揺しなかったといえば嘘になる。けれどどこかで予測していた答えでもあった。だから妙に得意げなこの化生をどうにか鼻白ませてやるために、言葉を選ぶ余裕はあった。
「悪いな。よく覚えていないんだ」
 顔を拭きながら軽く答えてやると、果たして破魔刀の精は興醒めの色を隠すことなく鼻を鳴らした。
『鳥頭は誰に似たものやら。キキョウはもそっと覚えの良い女子であったぞ』
「じゃあ他には一人しかいないだろう。陛下は興味のないことは割とあっさり忘れるぞ」
 その一言で今度こそ愛想を尽かしたらしい。振り向いた先に銀髪の少女の姿はなかった。陽光に占拠された寝床を横目に溜息を落とし、アサザは身支度を整えるため立ち上がった。
 今日は正装ではない。それよりもっと馴染みのない、鋼の鎧を不慣れな手つきで身に着けていく。
 快晴に恵まれた朝は皇帝軍出帥の日でもあった。皇太子、そして将帥として、アサザが初めて戦地へ赴く日。この後、皇帝臨席で出陣式が行われる予定になっている。そう思って再び窓を見遣れば、零れる陽の光は殊更に眩く瞳を刺した。
 残光に顔をしかめながら、手許へと視線を戻す。結び紐があちこちにあるせいで、身に着けるには思いのほか手間がかかる。身体を鎧う鋼の表面は漆で丁寧に塗られていた。傷一つないそれは三年前、成人の記念品として誂えられたものだった。作られた時にはあくまで儀礼用としての想定しかされていなかったくせに、質素で堅固なそれは思いがけないほど重くアサザの肩にのしかかってくる。
 ——慣れないうちは着るだけで疲れるぞ。
 着られている感丸出しで成人の儀に臨んだアサザの鎧姿に、笑いを堪えながらブドウは言った。
 ——まあそんなもの、着慣れない方がいいんだ。
 とりとめのない記憶までもが今は苦かった。三年間、一度も腕を通さなかった防具。あの頃より少しだけ伸びて逞しくなった手足のおかげで、鏡で確かめた己の姿がそう情けないものではなかったことがせめてもの救いだった。
 身動きするたびに、どこかで金属が触れ合う音がする。歩いてみると尚更がしゃがしゃとやかましい。溜息をついてアサザは床に放り捨ててあった”茅”を拾い上げた。そんな何でもない仕草までもが、聴覚と触覚に無用な刺激を伝えてくる。純粋に不便だ、と思った。
 何か言ってくるかと思ったが”茅”は沈黙を守ったままだった。アサザもまた無言のまま、長刀を腰に差す。
 国王軍はすぐ傍に迫っている。昨夜の報告では皇都まであと二日ばかりの地点まで近づいているとのことだった。ぐずぐずしている暇はない。皇都防衛を第一に考えるなら出陣式など省いてしまいたいのが正直なところ、しかし集め直した兵たちに新たな将帥を披露し士気を上げるために、そしてアサザ自身が戦へ向かうために、式典という名の形式は必要だった。
 何の儀礼も経ないままいきなり草原に出て、さあ国王軍と戦えと言われても戸惑っただろう。それは相手がレンギョウだからという抵抗感より、着慣れない鎧の不快感に近い感覚だった。
 戦う覚悟と、実際に刃を抜く覚悟は全く違う。それらを一つにするために式典は行われるのだ。だから、それが終わればもう引き返すことはできない。
 重い足を引きずって、アサザは門へと向かう。出陣式は皇宮前の第一、第二内門間の広場で行われることになっていた。奥の宮から出たところで、待っていた厩番からキキョウの手綱を受け取る。今朝は特に念入りに磨かれたのだろうか、栗毛の毛並が目に眩しいほどだった。
「キキョウ、すまない。今日からちょっと重りが多くなる」
 少しだけ考える風に耳を揺らして、キキョウはアサザの肩に顎を乗せた。かしゃりと鳴った肩当の感触を確かめるように息を吐き、キキョウはすぐに首を引く。聡い愛馬の首筋を軽く叩いて、手綱を引いたアサザは式場へと向かった。
 既に広場には兵たちが整列している。国王軍を迎え撃つために用意された兵力は十万。皇宮の広場に入る人数ではないから、ここにいるのは中心となる一万だけだ。残りは皇都の城壁の外で待機している。彼らにとっては、出陣式直後に皇宮の第一内門から駆け出してくる手筈となっている緋色——将帥の肩布が、意識を塗り替える合図となる。
 所定の位置にアサザが着いて間もなく、腹に響く太鼓が打ち鳴らされた。起立して見遣った先、黒衣の皇帝アザミが侍従を引き連れてやって来るのが見える。やはり体調は思わしくないのだろう。時折足元がふらつくようだったが、今日は近くに生成りの外套は見当たらなかった。
 第二の内門の前に皇帝が立つ。全兵力の十分の一とはいえ、完全武装の兵が林立する光景はそれだけで威圧感に満ちていた。気圧されぬよう息を詰めて、アサザは足を踏み出した。皇帝から自分へ、注目が移っていくのが肌で感じられる。
 門の階を上りきったところで作法通りに利き手に刀を下げて跪く。頭を下げたアサザを、父帝は無言で見下ろした。
 事態の危急と皇帝の体調を考慮して、出陣式の次第は随分簡略化されていた。大々的な演説などはなく、ほとんど要となる司令官の身分を証す肩布の下賜のみとなったそれをすら、今のアザミの体調でこなしきることができるのか。
「格好だけは一人前だな」
 ようやく降ってきた父の声はしかし、いつも通りの傲慢な色調だった。珍しく心配などしてみた息子の内心などお構いなしに、思わず顔を上げた先で皇帝はさっさと視線を切り、傍らの侍従が差し出す箱へと目を向けている。しかし中身を取り出そうと伸ばした手はすぐにぴたりと止まってしまった。
「……随分皮肉な色を選んだことだ」
 箱の中に入っている色は二色。皇帝軍将帥を示す緋色と——深い紫。
 皇太子が戦場へ出るのは史上初めてのこと、前例がないから身分を示す色も決まってはいない。アサザが選んだのは、喪色でもある紫だった。
「戦場で人が死ぬことに変わりはありませんから」
 短い答えに、アザミは軽く鼻を鳴らしただけだった。無造作に掴み上げられ、差し出された二色の布。跪いたままアサザは受け取り、まとめて肩に掛ける。
 冬の名残の北風が吹き抜ける中、アサザは立ち上がった。巻かれた肩布が、父帝の漆黒の裾が、兵士たちの兜の飾り紐が一斉に南へと流れる。
 刹那、父子の視線が交わった。
 ——いくな。
 いつかの父の言葉が耳に蘇る。今この瞬間にこそふさわしい言葉。しかし真っ向から見据えたアザミの眼差しは、内に隠した本心を映し出すにはあまりにも鋭すぎた。一呼吸の後に視線は伏せられ、俯けた顔の陰影はいつも通りに全てを拒絶してしまう。
 そんなたった一言を、言わないのか。——言えないのか。
 怒りより苛立ちより、哀しみが先に立った。父はこれまで一体どれだけの言葉を、こうして独りで飲み下してきたのだろう。
 無言のままに向けられた背中は、外套越しにも見て取れるほど痩せていた。父帝がこんなに小さく見える日が来るなど、アサザはこれまで想像もしていなかった。
「陛下」
 呼び止めたのは咄嗟のこと。思いもかけぬ衝動に戸惑うよりも先、後に続く言葉は自然に口から滑り出した。
「俺は必ず帰ります」
 アザミの背中が小さく揺れた。
 圧倒的に大きかった皇帝アザミの背中。時に怒り、憎みさえしながらも、その揺るがぬ強さにだけはずっと憧れ続けていた。弱った相手を負かしても意味がない。己の力で乗り越えてこそ、意義のある壁。そう思えばこそ。
 振り向いたアザミは少し驚いているようだった。その視線を真正面から受け止めている自分に、初めてアサザは気がついた。
 いつの間にか追いついていた背丈。この父に格好だけではなく、中身をも認めさせられるように。必ず帰ってこようと、思った。
「ふん、何を言うかと思いきや」
 アザミの口調は最前と変わらぬ傲岸なものだった。憎まれ口の奥底に潜む祈りと希望。それに気づいてしまった今ではもう、以前のように単純に嫌悪することはできなくなっていた。
「そのようなこと、命ずるまでもなかろう。貴様は言われねば分からぬ不肖の太子だということを忘れていたわ」
 靴音高く、威風堂々と皇帝は漆黒の長身を翻した。
「皇帝の名において命ずる。生きて帰還せよ。そのための武運くらいは祈ってやる」
 その言葉を合図に、兵の鬨の声が城壁を震わせた。広場を見渡す玉座に座った皇帝へ一礼して、皇太子にして皇帝軍将帥は傍らに牽かれてきた愛馬の背へ上る。門から皇都市街へ、さらには草原へと至る道は既に開かれていた。通路を開けた兵が、門の外に集った皇都の民が、息を詰めて将帥の次の一言に耳を澄ませる。
 栗毛に乗った黒鎧の若武者は、まっすぐに顔を上げて南へと目を向ける。しんと落ちた静寂。次の瞬間、凛と響く声が皇都の大気を震わせた。
「出陣!」
 たちまち駆け出した緋色と深紫を追って、兵たちが一斉に動き始める。時折響く歓声や甲高い鳴り物の音は、或いは皇都の民が発したものだろうか。
 皇帝軍出帥。次の戦場を目指す馬蹄の響きは、当分止みそうにもなかった。



 出陣の蹄音は続いている。一万の騎兵がすべて城門から駆け去るにはもう少し時間がかかりそうだ。
 腹の底まで響く重低音の中、皇帝アザミは無意識のうちに胸を押さえる。ここ数日ですっかり馴染みになった疼痛がまた騒ぎ始めた。知らず呼吸が浅くなり、耳障りな喘鳴が鼓膜を揺らす。
 折角士気を上げた兵の眼前で醜態を晒すわけにはいかない。
 ふらつく足でアザミは立ち上がった。顔や手足から血の気が引いているのが分かる。この顔色を見れば中座を咎める者などいないだろう。ましてや今、周囲には従順な侍従たちしかいない。彼らの頭の中には、そもそも皇帝の行動を止めるという選択肢がないのだ。言われるままに皇帝の命令を実行するだけの木偶人形。そうあるよう命じたのは、他ならぬアザミ自身だった。
 だからアザミの足元が覚束なくても、進んで手を貸す者などいない。彼らは命令されていない行動を取ったばかりに罰せられた者を幾人も知っている。それ以上に、下手な同情を寄せられることを何より嫌う皇帝の性格を知り抜いていた。
 居宮に至る第二の内門まで、玉座からはそう距離があるわけではない。けれど孤独な皇帝には、ひどく長くて暗い道程に感じられた。
 出陣だというのに、こうも曇っていては気が滅入る。
 その背に燦々と降り注ぐ晩冬の日差しに、ついにアザミは気づかなかった。ようやくの思いで潜った門の中、濃い影に紛れて立っていたのは生成りの外套だった。闇に浮かび上がるように姿を現したスギはアザミへ向けて恭しく腰を折る。
「お疲れ様でした、陛下」
 そう言って、さりげなくアザミの肩を支える。その所作には薬師の診察以上のなれなれしさは一切含まれていない。だからアザミも何も言わず重い体を預けることができた。
「お部屋に薬を用意しております」
 無言で頷く。この薬師が処方する薬は他のものに比べて格段によく効いた。以前からたびたび胸痛は起こしていたが、ここまで重くなるとは想像もしていなかった。大発作を起こす直前にこの男を抱えられたことが、せめてもの救いだったと思う。
 経験上、歩けなくなるほどの発作は前触れの胸痛の後しばらくしてから来る。自室に戻るまでに残された時間はぎりぎりといったところだった。
 狭い視界が妙に薄暗い。薬師の外套は薄闇でも見えやすい色だった。
 職業ごとに選ばれる色は思わぬところで意味を成す。ならば皇帝の黒は、太子が選んだ紫は。
 纏まらぬ思考と重い足を引きずって、長い廊下を横切っていく。体が覚えている最短路を選んだはずだが、それでも部屋の扉を潜る頃には胸の痛みは耐えがたいものになっていた。
 卓に歩み寄る間さえもが惜しかった。震える指先がもどかしげに包み紙を破く。爪先に灰緑色の粉末が降りかかった。零れた分には見向きもせず、包みに残った粉末を用意された水で喉に流し込む。いつも通り、灼けるような苦味だけが口の中に残った。
「動けますか? 座ってください。呼吸を楽にして」
 手際よくスギが椅子を勧める。床に伏すより座っている方が楽な病だ。言われるがままアザミは腰を下ろし、呼吸を整える。
 その様子をじっとスギは見つめている。感情を消した薬師の表情のまま、淡々と顔色や脈拍の確認を行っていく。首筋と手首で脈を取り、最後に心臓の真上に手を当てる。そのままの姿勢で、スギはゆっくりと顔を上げた。
「そういえば、陛下」
 幾分楽になったとはいえ、まだ発作は行き過ぎていない。浅い呼吸に顔をしかめながら、アザミはスギの顔を見遣る。
「その良く効く薬。まだ名前をお伝えしていませんでしたね」
「名などどうでも良い。効くことだけ知っていれば事足りる」
 掠れ掠れの答えに、スギは小さく笑った。
「実に陛下らしい答えですが……聞いても損はないと思いますよ。その粉末のことを我々は『狐』と呼びます」
 意識よりも先に体が反応した。ぎょっと身を引こうとしたアザミの肩をすかさずスギが捕まえる。振りほどこうと身を捩ってみるが、発作が終わったばかりの四肢は痙攣するばかりで自由には動かない。完全な無表情のままスギは冷厳とアザミの苦闘を見下ろし、まるで病状の説明をするかのような無造作な口調で続けた。
「十年前、『狐』を使った皇帝暗殺未遂事件がありましたね。前年に皇后を亡くしたばかりで隙があったのでしょうか。貴方が帝位に就いてから何度も繰り返された暗殺計画の中でも、この事件ほど貴方の傍近くに迫ったものはなかった」
 アザミは歯噛みしながら薬師の——いや、薬師の仮面を外そうとしている何者かを睨み上げる。
「際どいところで難を逃れた貴方はすぐさま実行犯とその関係者を粛清しましたね。たくさん、本当にたくさんの人が殺されました。その中に——暗殺計画など何も知らぬまま、心臓の治療薬として『狐』を犯人に手渡した薬師の一家がいた」
「貴様……」
 ようやく絞り出した声はしかし、押し殺されて自分の耳でさえ拾いづらい。声だけで人を威圧することになど慣れきっていたはずなのに、目の前の男はまるで動じることなく言葉を継ぐ。
「薬と毒は紙一重。貴方はとてもお強いので、こういうやり方しか倒す術が思いつきませんでした」
 男は腰に下げた古びた剣を抜く。普段から硬い薬種を削るため研ぎ澄まされた刃。積年の恨みでも、復讐の喜びでもなく。先程掌で確かめた心臓の位置にぴたりと据えられたそれは、ただただ虚無だけを映していた。
「生命を奪うは薬師の禁忌。なれど……家族の仇、討たせていただきます」
 鈍い輝きが闇に閃いた。光芒の中で幾つもの景色が、面影が、アザミの眼前を過ぎ去っていく。忘れがたい、けれどどれ一つとしてアザミを向いてはいない風景、眼差し。
 最後に見えたのは黒い鎧姿だった。緋色と紫の肩布を揺らし、栗毛の馬に跨って遠ざかっていく背中。
 また、零れ落ちていく。
 聞き取りづらい掠れ声のせいで、その名を最後まで呼べたかさえもアザミには分からなかった。


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<予告編>


ついに再会の時が来た。
双方望まぬ形ではある。
けれどレンギョウにとっては意義深いものだった。

幾万の兵を隔てて、
レンギョウとアサザは向かい合う。

この日に向けてできる限りの準備は整えてきた。
戦の火蓋が切られんとする、その時。

皇都から飛び込んできた緊急連絡。
報せを受けたレンギョウは咄嗟に
描きかけていた魔法の形を変える。

『DOUBLE LORDS』転章完結!
彼方の友へ放った一条の線、
そこに籠めた祈りが通じることを信じて、願って。


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