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書き散らした小説置き場。剣と魔法のファンタジー他いろいろ。
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 凍てつく皇都の寒気は、未だ緩む気配もない。北風に翻る旗は黒地に深い紫の縁取りがなされた弔旗だ。戦死者の合同葬礼は五日前に終わっていたが、全員の埋葬はまだ完了していない。葬祭殿が空になるまで、旗は半旗のまま掲げられるのが通例だった。

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 空は澄み渡っていた。下界の沈鬱さなどお構いなしに、一日の務めを終えた太陽は足早に西の彼方へと沈んでいく。裳裾の残光が残る空は徐々に夜へとその場を譲り、弔いの色と同じ夕闇の紫へと染まっていった。
 闇はより強い冷気を伴う。部屋の温みが翳ったことで、アサザは夜の訪れを知った。
「少し冷えてきたな。悪いが薪を足してきてくれ」
 はい、と頷いて、顔なじみの衛兵が部屋を出て行く。紙類が多いこの部屋の暖房は、別室で熾した火の熱を床下に引き込む仕組みになっている。病がちな部屋の主が煤を吸い込むこともなく、また熱の通り道を冷めにくい石材で造作してあることもあり、いつでも温かい。
 温みの宿る床へ膝を折り、アサザは横たわった兄の顔へと視線を戻した。”山の民”の村へと向かう前、最後に言葉を交わした時よりも少しやつれただろうか。昏々と眠り続けるアオイの顔に苦痛の色が見えないことだけが、せめてもの救いだった。
 アオイが倒れたのはアサザが出立した直後だという。以来意識が戻らぬままだから、戦の結果も”茅”の正体も知らないことになる。それでいいとアサザは思っていた。人より多くの物事を知ることによって苦しみ続けた兄に、これ以上の重荷は背負わせたくなかった。
 小さく息を吐いて、アサザは背後へと意識を向ける。
「なあブドウ。あまり自分を責めるなよ」
 戸口の辺りから身を竦ませる気配が伝わってきた。振り返らないままアサザは言葉を継いだ。
「肝心な時に何もできなかったのは俺も一緒だ。兄上だって分かってくれるさ」
 かぶりを振る気配と、低く掠れた声が返ってくる。
「……私が、許せない」
 微かな鍔鳴りの音が響く。剣を抱いたまま、ブドウは扉の脇に座り込んでいた。合同葬礼の後、アカネの埋葬が済んだその足でここに来て、ずっと同じ姿勢のまま蹲っている。決してアオイの傍には近寄らず、まるで襲い来る何者かを迎え撃つかのようにぎらぎらと輝く瞳で虚空を睨んだまま。一睡もしていないその目の下には、濃い隈が浮かんでいる。
 戻ってきた衛兵が痛ましげな眼差しをブドウに向けた。彼自身、ブドウに何度も休息を勧めている。既に掛けるべき言葉など尽きていた。無言のまま、ブドウとは逆の戸口脇に背筋を正して立つ。そうすることで目に見えぬ敵から主を守ることができると信じているかのように。
 アサザとてブドウと似たような格好だった。不吉な葬礼用の外套と長刀を部屋に放り込み、カヤが見せる幻から逃れるようにここに来た。兄の枕元に座り込み、呼吸を確認して安堵し、少しだけまどろみ、跳ね起きては頬の体温を確かめる。そんなことをしても意味がないと分かっていても、できることが他に思いつかなかった。
 膝の下で床の温度が上がった。温もりを増した空気に誘われるかのように、アオイの瞼が揺れた。
「兄上」
 ゆっくりと開かれる瞳。アサザの声に、焦点が合わないままの視線が向けられる。咄嗟に立ち上がるブドウの気配、衛兵が息を呑む音。茫洋とそれらを受け止めた後、ようやく間近の弟の表情を認めたアオイがにっこりと笑った。
「どうしたんだいアサザ、そんな情けない顔をして」
 夜を迎えて、外では風が強くなったようだった。ともすると北風の咆哮に紛れてしまいそうな兄の声に、アサザは必死で笑顔を繕った。
「寝覚めの一言がそれですか。こっちはずっとつきっきりで看病してたんですよ」
「ふふ、ごめん。心配かけちゃったみたいだね」
 小さく空咳をして、アオイは薄い瞼を閉じた。
「本当にごめん。これが、最後だから」
 氷の手で心臓を鷲掴みにされた気がした。それは今、一番突きつけられたくない現実だった。咄嗟に兄の肩を揺さぶりそうになった手を、辛うじて自制する。
「……アカネは?」
 ブドウが身を固くしたのが振り向かなくても分かった。震える手に握り締めた鞘が鳴る音が、部屋に響く。
「少し、怪我をして。今は休んでいます」
 滑り出た嘘は不自然ではなかっただろうか。心持ち下がったアオイの視線を追って、アサザは息を止めた。胸元に留まった夕闇色の喪章。外し忘れたそれの不吉な色が兄の目に留まらないことだけを、心から祈った。
「……そう。それなら仕方ないね」
 何事もなく再び伏せられた瞳に、知らず詰めていた息を吐く。
「父上も。来ないかな、やっぱり」
 聞き取れないほどに低い呟きに問い返す暇はなかった。ふいに目線を上げたアオイが、これまでとは打って変わった凛とした声で衛兵の名を呼んだ。
「シダ」
「はっ」
 敬礼をして、衛兵が一歩前に出る。身体をずらしたアサザと夥しい書類の束を隔てて、主従はお互いの顔をしっかりと見据えた。
「今日まで、よく仕えてくれたね。何もできない主で、君には苦労ばかりかけてしまった。本当にすまない」
「アオイ様」
 思いもかけない言葉だったのだろう。衛兵は背筋を伸ばしたままの姿勢で固まってしまった。
「そんなことは、どうか。恩義こそあれ、苦労など」
 無口で朴訥な衛兵は、そこまで口にしたところで絶句してしまった。代わりに溢れ出した涙を抑えるように、その場に跪き嗚咽を洩らす。
 しばらく衛兵の震える肩を見つめていたアオイの視線が横に流れた。
「ブドウ」
 がちゃり、と剣が鳴った。穏やかな視線の先、怯えたように後ずさるブドウの姿がまっすぐに捉えられる。何かを拒むように首を振るブドウに、アオイはゆったりと笑いかけた。
「傍に、来て」
 その一言で、ブドウの身体から力が抜けた。普段とは別人のように肩を落とし、重い足を引きずって部屋を横切る。辛うじて感情を抑えていられたのはそこまでだった。枕元を譲ったアサザと入れ替わりに膝をついて白い顔を見下ろした刹那、夥しい記憶がブドウの脳裏に溢れ出した。
「ごめん。ごめんなさい、私は、アカネを」
 その先は言葉にできなかった。意味を成さない声と裏腹に、悲愴と悔悟の雫が眦から零れる。
 涙の筋を辿るように、アオイの指がブドウの頬に触れた。慰めるように、いとおしむように。全てを包み込むような微笑のまま、アオイは小さく、けれどはっきりと告げた。
「たとえどんなことが起ころうと、私の答えは変わらないよ。——ブドウ。出逢ってくれて、ありがとう」
 頬を伝う涙の温度が変わったのは、錯覚ではないだろう。名残惜しげにその筋を拭って、血の気のない指先が頬から離れる。
「アサザに話しておきたいことがあるんだ。二人だけにしてもらえないかい?」
 穏やかな問い掛け。しかしアオイの瞳は真剣だった。有無を言わせぬその表情に、思わずブドウは頷いていた。
 衛兵と支えあうように部屋を出ていく瞬間、一度だけブドウは振り返った。常と変わらぬ微笑のまま、アオイが声に出さずに呟いた。
 どうか、元気で。
 閉ざされた扉に阻まれたせいで、ブドウにその言葉が伝わったかは分からなかった。それでもアサザに向き直ったアオイは、どこか吹っ切ったような表情でいつもと同じようにまっすぐ目線を合わせてきた。
「ごめんね、アサザ。本当はもっとゆっくり話したかったんだけど」
 アサザは無言で首を振った。これ以上アオイに話をさせることはどう考えても危険だ。しかしここで言葉を遮れば、恐らく永遠に兄が伝えたかったことを聞く機会は失われる。どうすれば良いのかなど、分からなかった。
「私の持っている情報網のことなのだけれど」
 アサザの表情には構わず、アオイは言葉を紡ぐ。呼吸が浅いせいで、時折声が掠れるのが気になるのだろう。小さな咳を繰り返しながら、あくまで淡々と伝達事項を述べていく。
「私に何かあれば、君に指示を仰ぐよう束ね役に伝えてある。君が引き継いだことを父上に知られると後々大変だろうから、とりあえず顔見世と挨拶は葬礼の後、落ち着いた頃にするよう言っておいたよ。突然誰かから話しかけられてもびっくりしないで、話を聞いてあげてね」
「……はい」
 できうる限り感情を押し殺した声で、アサザは返事をする。アオイはこんな日が来ることをずっと以前から予測していたのだろう。いずれ起こる事態のために部下に指示を出し、なすべきこと、伝えるべきことを考えて。
 兄の予測はいつでも正しかった。そして今、兄は自分が存在しない未来のために、現在できうる全てを為そうとしている。その姿から目を逸らすことは兄に対する裏切りだと思えた。
「……事実を知ることで、逆に自分を苦しめることもある。こんなものを渡した私のことを恨むこともあるかもしれない。けれど」
 言葉を切って、アオイは深く深く息を吐いた。
「私には、これ位しか遺せるものがないから」
「そんなことは、ありません」
 声の震えは、既に隠しようがなかった。詰まりそうになる喉を懸命に宥めつつ、アサザはアオイに笑いかけた。
「兄上は俺に、たくさんのことを教えてくれました。数え切れない程の思い出も。きっと」
 握り締めた拳に、冷たい雫が落ちる。
「きっと、アカネも同じことを言いますよ」
「……ありがとう、アサザ。君たちのような弟を持てて本当に良かった」
 柔らかな光を湛えた瞳の焦点が、虚空へと流れた。
「寂しがり屋のアカネが待ってる、ね」
 掻き消えそうな声と共に、薄い瞼がゆっくりと閉じられる。見守るアサザの前で、穏やかな呼吸が目に見えて浅くなった。最期の瞬間の、厳粛な静謐。
 突然、扉が乱暴に開かれた。部屋を支配していた静寂を靴音高く蹴散らして、一人の男が入ってくる。
「陛下」
 振り返ってその姿を認めた途端、幾多の非難の言葉が喉元にせり上がってきた。
 今頃になって。兄上はずっと待っていたのに。こんな時くらい静かにできないのか。——それでも父親か。
 我先に飛び出そうとする言葉たちは互いに邪魔しあって、声にはできなかった。睨みつけるだけのアサザを完全に黙殺して、アザミはアオイの横たわる床へと歩み寄る。すれ違う瞬間、アサザは制止しようと伸ばした手を咄嗟に引いた。アザミの息が乱れている。まるで執務室からここまで、必死に駆けつけてきたかのように。
 皇帝が見下ろした先には、アオイの穏やかな微笑があった。眠るように瞼を閉じたその顔は、いつもの寝顔と変わらない。決定的に違うのは、その瞼が二度と開くことはないということ。その頬に温みが宿ることは、二度とないということ。
 糸が切れたように、アザミの膝が崩れた。
「許さぬ。目を覚ませ廃太子。余の命が聞けぬのか」
 掛け布の上に放り出されたままの血の気を失った細い指先に、一回りは大きな手が差し伸べられる。しかしそれは触れる前に力なく落とされ、逡巡するように彷徨った後に虚しく掛け布を握り締めた。
「此奴も、第三皇子も——あの女も。何故だ。何故、余を」
「……陛下」
「いくな」
 アサザの呼びかけを、低く、それでいて明瞭な声音が遮る。
「いくな、行くな、逝くな——アサザ、お前だけは」
 思わず、息を詰めた。
 名を、呼ばれた。
 見返した父帝の横顔には、見慣れた傲慢さは欠片もなかった。そこに浮かんでいたのは、深い疲弊と憔悴。アサザが初めて触れる、父の弱さだった。
 言ってやりたいことは山ほどあったはずだった。しかしそのどれもが言葉にはならず、それどころか言うべき言葉すら見つからない。
 弟。そして兄。
 永訣したのは、それだけではない。これからきっと多くのものが変わり、失われていく。そんな確信に近い予感が、アサザの胸に黒く湧き上がってきた。
 今日失ったものは、一体何だろう。


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<予告編>


夢を見た。
漆黒の、鋼のように冷たい心象の。
目覚めた後も喉元に刃を突きつけられているような、
不吉な後味の夢を。

月霞の空の下、レンギョウは白い息を吐く。
皇都への旅立ちの朝。
暁と同じ色を旗印を掲げ、北へ往く。

国王としての責務を果たすために。
友と交わした約束を果たすために。

再編成された軍が眼下に集う。
束ねるのは聖王レンギョウ。
そして、指揮を執るのは——

『DOUBLE LORDS』転章5、新展開。
またいつか、会えるだろうか。
耳に甦る声はかつての己か、夢の残滓か。


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