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書き散らした小説置き場。剣と魔法のファンタジー他いろいろ。
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 山道の途中で崩れ始めた天気を気にする余裕など、なかった。

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 下りということもあり、行きの行程の半分で皇都までの道程を駆け抜ける。アサザの焦りを察しているのだろうか。キキョウの脚は負担のかかる坂道を越えて平坦な草原に入る頃にはふらついていたが、それでもついに止まることなく二日を走ってくれた。
 そして今、草の海の彼方に黒々と蟠る都の姿が見えてくる。天空には全ての希望を押しつぶすかのような暗雲が広がっていた。そこから落ちる氷混じりの雨は敵意すら感じられるほどに冷たく、アサザの頬を、心を、凍てつかせていく。
 ——死ぬるぞ。
 不吉な予言が耳に蘇った。
 鞍に括りつけた”茅”に敢えて意識を向けないまま、アサザはキキョウに最後の拍車を入れる。あれ以来カヤは姿を現さない。沈黙を守ったままの漆黒の長刀はいっそ不気味でさえあった。
 空は暗いが、まだ日は高い時刻だ。門番の兵を横目に開きっ放しの城門を騎乗のまま抜け、皇都の目抜き通りへと進む。
 石畳で舗装された大路は人の営みなど拒絶するかのように冷え冷えと横たわっている。人気がないのは氷雨のせいばかりではない。中立地帯への援助停止は商人たちの皇都敬遠にも繋がっていた。食糧調達すらままならぬ戦士より、人気、経済力共に高い”聖王”の都へ。商いの理屈は単純で、正直だった。
 閑散とした景色の中、キキョウは足早に皇宮へと向かう。こんな時ばかりは混んだ道でなくて良かったと、半ば皮肉交じりに考える。
 第一の内門が見えてきた。この先に公に使う宮と皇族が暮らす奥の宮へそれぞれ通じる第二の門があり、さらにその向こうに細かい建物へと続く門がある。第一の門を潜ったところで下馬し、いつも通り奥の宮へ向かおうとしたアサザを驚いた様子で門番が止めた。
「第三皇子殿下にお会いするのではないのですか?」
「……アカネに?」
 胸に湧いた闇色の予感は、キキョウの手綱を預けた門番がためらいがちに示した公宮の名で一挙に膨れ上がる。
 葬祭殿、など。なんて現実味のない言葉だろう。
 母の葬儀以来、一度も足を踏み入れなかった宮は真新しい木材の匂いに満ちていた。真冬のことだから花の香りはない。並べられた棺の群の中、一段高い位置にあるそれも例外ではなかった。
「アサザ……?」
 壇の傍らには、うつろな表情のブドウが立ちつくしていた。最後に会った時とは別人のように頬がこけ、若葉色の瞳にも光はない。
「……アカネは?」
 他に言葉が浮かばなかった。出陣の際、見送った背中を思い出す。行きは二人。帰りだって、きっと。
「すまない」
 俯き、押し殺した声に、最後の希望が砕かれる。
「すまない、アサザ。すまない」
 冷え切った肩に額が押し付けられた。同時に手の甲に落ちる熱い雫。氷雨などとは比べ物にならない程の寒気が襲い掛かってくる。
「嘘だ」
 思わず掴んだブドウの肩を、力任せに引き離す。
「そんなはずない。どうせまたいつもの悪戯だろう。俺の驚く顔が見たくてその辺に隠れてるんだろう?」
「アサザ」
「こんなものまで用意しやがって。ったく、俺が目を離すとロクなことしないな、あいつは。そんなだからいつまでもガキだって言うんだよ」
「アサザ……!」
 ブドウの制止を振り切って、アサザは目の前の棺の蓋に手を掛ける。切り出したばかりの白木の板は思いがけない程軽く、あっけない程簡単に床へと落ちた。
 人一人分の狭い箱に収まっていたのは、全身を白い布で覆われた身体だった。これでは見慣れた弟の面影など確かめようもない。やっぱり何かの間違いだったのだ、と安堵の息を吐きかけた時。
 ふと、何かが視界に引っかかった。白木の木目、白い布。色彩のない箱の中に混じる、鮮やかな一色。
 首筋から肩へ至る辺りで布が緩んでいる箇所がある。その下から緋色が一筋だけ、覗いていた。皇帝軍将帥にしか許されない、その色。
 張り詰めていた糸が切れる音を聞いた気がした。膝から、肩から、力が抜けていく。
「……るかよ」
 喉の奥で呟く。自分でも聞き取れないほどに低く、掠れた声音。
「信じられるかよ、こんなこと!」
 目の前の棺に詰まった理不尽にせめてもの言葉を叩きつけ、アサザは踵を返した。そのまま靴音荒く、葬祭殿を後にする。ブドウが名を呼ぶ声が聞こえた気がしたが、足を止める気にはなれなかった。
 どこをどう通ったのかなど覚えてはいない。気がつくとアサザは兄弟で暮らす宮へと戻ってきていた。まっすぐ自室の扉を潜り、乱暴に閉める。
 兄は知っているのだろうか。
 一瞬そんなことを考えたが、すぐに首を振る。話せない。知っていたとしたら話題になどできない。もし知らなかったら——話すことなどできはしない。
 頽れるように寝台に座り込む。もう何も、考えたくなかった。
『だから言うたであろう? 死ぬると』
 耳障りな嘲りが耳朶を叩く。咄嗟に背後を振り返ると、冷笑を口の端に浮かべたカヤが夜具の上に座っていた。
「お前、何故ここに」
『親切な門番が運んでくれた。間抜けな太子の忘れ物だとな』
 艶さえ感じさせる笑みを刻んだままのカヤの答えに、知らず舌打ちが洩れる。
「黙れよ。今はお前なんかに付き合う気分じゃない」
『そんな口を利いて良いのか? せっかく親切に教えてやったというに』
「うるさい」
 逸らした視線の外、耳元に小さく嘲笑が落とされる。
『次は誰か、聞きたいか?』
「うるさい。黙れ……黙れっ!」
 思わず振るった腕が虚空を薙ぐ。くすくす笑いの残響だけを残して、カヤの姿はかき消えていた。代わりに寝台の上に横たわっていたのは漆黒の長刀。衝動的にその鞘を掴み、部屋の隅へと投げ捨てる。
『そんなことをしても無駄だ。来し方は変えられぬ。行く先も、な』
 背後から喉元へ絡みつく白い腕。壁際には打ち捨てられたままの長刀が転がっている。どうやら本体を離れて動くこともできるらしいと、遅まきながら悟る。振り払うことさえ忘れて、アサザは両手で顔を覆った。
「化け物め……!」
 心底嬉しそうに、カヤが笑った。くつくつと鳴る、細い喉。
『その化生の助力を乞う時が必ず来る。勝つために。倒すために、な』
 反駁の言葉さえ、もう浮かばない。窓を叩く氷雨の音がやけに大きく感じられた。
『我が化生であるならば、我の力を欲する時、おぬしは一体何者となるのであろうな?』
 鼓膜に流し込まれる声は止まることがなかった。表現を変え、間合いを変え、繰り返される悪意の羅列。
 力を欲せ。血を望め。”魔王”に連なる者を、王家を倒せ。
 レンギョウと同じ顔で紡がれる、滴るほどの憎悪。返す言葉を探す気力など既に尽きている。声を発する気にさえなれないまま、時間だけが過ぎていく。魔剣の囁きの向こうで何度か扉が叩かれたようだったが、無論アサザが応えることはなかった。
 疲れ果てているのに眠りは訪れなかった。身じろぎするたび、かじかんだ指と冷え切った四肢が軋みを上げる。吐く息は白く、やり場のない怒りのように周囲に沈殿していく。
 寒さに震える身体が、掌に落ちる呼吸が、どうしようもなく腹立たしかった。たった一人の弟が熱を失った時、最期の息を吐いた時、してやれることなど何一つなかった。その死を知った今でさえ、できることなどない。なのに何故、この身は今もなお生きようとし続けているのか。
 いっそこのまま、凍え死んでしまえばいい。
 奈落の淵から湧いた言葉は、抗しがたい魅力に満ちていた。
 生きていても、成せる事など何もない。ならば一思いに絶望の底へ沈んでみるのも悪くはない。
 死ぬか。死のうか。——死んでしまえ。
 聞こえる言葉がカヤの呪詛なのか己の裡から湧くものなのか、既にアサザには分からなくなっていた。ふと滑らせた視線の中、放り出されたままの漆黒の拵えが映った。ふらりと魅入られたような足取りで壁際へと歩み寄る。床に跪き、手元に引き寄せ、鞘を払う。錆一つない黒金の片刃が鈍く光った。言葉もなく、研ぎ澄まされた刃を見つめる。
 ——殺せ!
 狂気と歓喜に満ちた叫びに、心を委ねようとした瞬間。小さく、幽かな音が重なった。”茅”を捧げ持ったまま、アサザはゆるゆると顔を上げる。鍵も掛けずにいた扉がほんの少しだけ押し開かれるのが見えた。同時に小さな足音が部屋へと紛れ込む。現実と幻影の狭間で歪む視界の中で、くすんだ藍色を纏った侵入者がどこかほっとしたように頬を緩める。
「こんなところに、おっただか」
「……お前、何故ここに」
 久方振りに零した言葉は掠れていた。唐突に現れた”山の民”の少女は慎重な足取りでアサザへと近づいてくる。しかしすぐにその足は竦んだように止まってしまった。怯えた瞳に映るのは抜き身の刃。慌ててアサザは”茅”を鞘へと納めた。
「……悪い」
 距離を保ったまま、カタバミは小さく首を振った。
「あいつは、いないのけ?」
「あいつ?」
「刀の精」
 言われて初めて、カヤが姿を消していることに気づく。邪魔が入ったため退いたのだろうか。小さく息を吐き、同時にぞくりとした。
 先程、自分は何をしようとしていた?
 手にしたままだった長刀を再び投げ捨てる。黒い鋼の冷たさは、己が受け入れようとしていたものの感触とあまりにも似すぎていた。
 カヤの悪意は”魔王”の一族にだけ向けられているのではない。”茅”は、主たる”戦士”の末裔をも憎んでいる。両家を争わせ、殺し合わせること。それが”茅”の、カヤの望みなのだと、ようやく思い至る。
「あいつが何か言ったのけ?」
「あれを、知っているのか」
 乱れそうになる呼吸を必死で抑えながら、アサザは問う。カタバミは頷いた。
「あいつ、おっかないけど言うことはよく当たる。そのうち戦士で葬式があるから用意をしろって。そしたらすぐにおめさが来て、あいつを持ってっちまって。とうちゃんとじじさが山を下りるって言うから、おらも一緒に来た」
「葬式?」
 ん、と二つのおさげが揺れた。
「……死んだの、おめさの知り合いか?」
 死。どこか遠くにあると思い込もうとしていた、その言葉。
「さっき、すごく哀しそうな顔してたっけ。大丈夫か?」
 哀しいと、感じているのだろうか。抱いている感情の種類さえも最早判らない。ただ、深い衝撃だけがそこにある。
 母が逝った時は、実感を覚えるには幼すぎた。兄が発作を起こした時も、きっと大丈夫だという楽観がどこかにあった。
 これが最後かもしれない。アカネが赴いたのはそういう場所だ。
 その意味を、自分はどれ程理解していたのだろう。
 ふいに怒涛のような後悔が押し寄せてきた。あいつは別れ際、どういう表情をしていた? 最後に交わした言葉は? 緋色を肩に巻いた無邪気な笑顔の記憶が、どうしようもなく心を抉っていく。
 苦しくて仕方がなかった。額に両手を押し付けて、荒れ狂う波を抑えようと試みる。微かに震えるその指に、小さく温い掌が重ねられた。
「泣くんでない。男の子だべ?」
 わずかに上げた目線の中、いつの間にか近づいていたカタバミの顔が映る。
「ほら、いいもんあげるから。お腹すいてちゃ何もできんよ、な?」
 差し出されたのは小さな飴玉。淡い薄荷の匂いが鼻先を掠める。日に焼けた幼い笑顔が、弟のそれと重なった。
 その時、胸底から衝き上げてきたものをどう表せばいいのだろう。
 次の瞬間、アサザは少女の小さな身体を掻き抱いていた。そこに確かに宿る命に縋るように。独りにするなと祈るように。幼い肌の温みが愛おしくて。熱を永遠に失った面影が哀しくて、悔しくて。
 一度溢れ出すと、もう涙は止まらなかった。食いしばった奥歯から、押し殺した嗚咽が洩れる。
「泣かんで。泣かんでや、アサザ」
 戸惑いも露わに、カタバミが身じろぎをした。アサザの腕から逃れるのではない。逆に身を寄せ、慰めるかのように短い腕を伸ばして脇腹の辺りをさすっている。懸命に背伸びをする少女を、アサザはただ無言で抱きしめた。
 この温みの隣にも、死は存在している。無論、自分の傍らにも。
 大切なのはそこから目を逸らすことではなく、やがて訪れるその日を悔いなく迎えるために生きること。
 生きて、生きて、生き抜くことこそが、今のアサザがアカネへしてやれる最大の手向けであり、”茅”に屈さぬ為の唯一の術だと。ようやく湧き上がった答えに、深く深く頭を垂れる。
 時には涙を流しても構わない。乗り越えたその先に強さを見出せるのなら。
 アカネの分まで生きる。たかだか刀の一本になど、負けてたまるか。
 光を取り戻した瞳で、アサザは床に放られたままの”茅”を睨みつけた。漆黒の長刀に、不敵な笑みを刷いたカヤの姿が二重写しになる。
 ——面白い。そうでなければ、な。
 魔性の口許は確かにそう動いた。カタバミの肩越し、真っ向からぶつかった視線が苛烈な火花を散らす。
『戦士よ、魔王よ、二つの血を受け継ぐ者よ。我の永劫の呪いを、その身に受くるがよい』
 カヤの宣戦布告を、頬も拭わぬままアサザは受け止めた。このような哀しみを二度と味わわぬ為に、他の誰にも味わわせぬ為に。
 強く、なる。


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<予告編>


機は熟したり。

王都に集った民は望む。
中立地帯の安寧を。
皇帝の打倒を。
『聖王』が統べる、島国を。

万雷の歓声の中、レンギョウは静かに告げる。

「共に往こう。皇都へ——この国の、未来へ」

添えられる手、離れゆく腕。
まっすぐに見据えた北の空。
その下には懐かしき友と、
漆黒の鏡に写された己の幻影が待っている。

『DOUBLE LORDS』転章3、
暁の旗が今、揚げられる。


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