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書き散らした小説置き場。剣と魔法のファンタジー他いろいろ。
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 アカネが敵の手に落ちたと報せを受けた時、ブドウの目の前の景色が一気に色褪せた。急速に狭まる視界、浅く早くなる呼吸。後悔と自責が胸の内を駆け抜ける。

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 私が守ってやるよ。
 最前自分自身が口にした言葉を、苦い思いで噛み締める。
 やはり、前線になど出すのではなかった。
 皇子にして、将帥。その身を確実に守ろうと思うのなら、決して己の傍から離してはならなかったのだ。
 第一報をもたらしたのは名も知れぬ歩兵だった。前線から必死に走ってきたのだろう、泥まみれの姿が痛々しいほどに皇帝軍の動揺を物語っている。
 無論、前線で何かが起こったことはブドウも把握していた。それまで順調だった右翼の伸展がいきなり止まり、後退を始めたからだ。
 すぐさまブドウは状況確認を試みた。今、右翼にはアカネがいる。戦況の変化とアカネが無関係とは到底思えなかった。どんなに目を凝らしても戦場に緋色は見当たらない。鏡を用いた合図にも、連絡を促す太鼓にも応えはなかった。
 右翼を中心に広がる波紋、応答のない合図、やけに大きく聞こえる国王軍の喊声。確信に近い予感が思考を黒く塗りつぶしていく。そしてそれは泥人形の歩兵を目にした瞬間に現実となった。
 アカネには護衛として五名の騎兵を付けている。彼らが戻らない。歩兵より確実に速いはずの騎兵が。それは何よりも雄弁にアカネの身に起きた変事を指し示していた。
 やっとの思いで退却の指示を絞り出す。国王軍と完全に離れる頃には、ブドウの下に次々と将帥拉致の詳報が伝えられていた。少数ながら魔法を使う兵による待ち伏せだったこと。中心になったのは薙刀遣いの男であること。そして初報では不明だったアカネの安否についても、どうやら生きたまま捕まったらしいことが確認された。その点においてだけ、ブドウは心から安堵の溜息を吐いた。
 しかし状況は厳しい。既にアカネが攫われたことは全軍に知れている。ざわめき立つ皇帝軍に対し、国王軍は明らかに高揚していた。時折風に紛れて、聞きたくもない歓声が吹きつけてくる。その中心で今もなおアカネがただ独り戦っているかと思うと、じっとしてなどいられなかった。
 取り戻さなければ。
 別れ際の笑顔が蘇る。そう、守ると約束した。
 甘い判断でアカネを前線に出し窮地に陥らせたのは他でもない自分だ。結果、兵たちに更なる戦いを強いようとしているのも。責任を感じるからこそ、率先して動かねばならない。短く喝を入れて、ブドウは顔を上げた。日没までまだ数刻はある。
 何としてでも、無事に取り戻す。
 瞳に力を込めて、ブドウは彼方の国王軍を睨んだ。


 冬の陽が傾くのは早い。先程よりも色を増した太陽を横目にブドウは草原を駆ける。後ろに幾重にも続くのは重い蹄鉄の響き。この三千の騎兵は本陣を守るため待機を命じていた部隊だ。アカネ不在の今となっては温存していても仕方がない。彼ら自身も戦いへの参加を望んでいた。護衛役としてアカネと接する機会も多かっただけ、奪還作戦に対する士気も高い。
 ブドウ率いる先陣の目的はただ一つ、国王軍中枢にいるアカネを救い出すこと。とは言え相手は今なお三万を越える兵を残している。騎兵だけでの突破は不可能だ。
 そのため騎兵隊の後ろには残存の皇帝軍歩兵四万が控えている。先ほどの戦いで若干消耗してはいるものの、その数は充分に武器になる。彼らには積極的に干戈を交えることより、騎兵が切り開いた道を守り退路を確保することを命じてあった。騎兵隊の後ろにぴったり歩兵がいれば、少なくとも背後を取られ包囲されることは防げる。帰りにはアカネを伴わなければならないのだ。救出隊が孤立するような事態にだけは決して陥ってはならない。
 午後の陽を視界の後方に感じながら、ブドウは左を目指して前進する。立ち塞がるのは敵の右翼。自警団所属の兵たちだろう、不揃いな鉄色の輝きが一呼吸ごとに近づいてくる。
 楔を打ち込む箇所として右を選んだのは、先程アカネを奪ったのが左翼だったからだ。薙刀遣いの男とやらを己の手で締め上げてやりたい気持ちは無論ある。だがそれ以上にブドウは作戦の破綻を警戒した。相手は老獪だ。わざと前線を伸ばして隙を見せ、若い皇子をおびき寄せた。経験不足はブドウも同じこと。自分までもが同じ轍を踏むわけにはいかない。
 ちらりとブドウは敵の正面に目を走らせた。相手の中枢に至る最短路は白銀の甲冑で埋めつくされている。正規国王軍。代々の国王の髪と同じ貴色で鎧うことを許された、国王を守るためだけの兵。幾重にも重なる層の厚さはそのまま忠誠心の表れでもある。中央突破は諦めざるを得なかった。
 意識して息を整えた後、改めて眼前の壁を見据える。あえて選んだ相手とはいえ、右翼とて簡単な相手ではないことは重々承知している。現に今も、肉薄するブドウたちに対して陣形を整えつつある様子がありありと見て取れた。勿論、準備が整うまで待つつもりはない。
「行くよっ!!」
 言葉に気合を込めて、ブドウは腰の剣を抜いた。鞘走りの音が、鞍に置かれた槍を取る音が、背後から鋭く馬蹄の轟きに混じる。
 得物を構えて敵陣の中に切り込む。その瞬間、ブドウの周りから一切の音が消えた。刃から伝わる重い衝撃、膝をついて崩れ落ちる鉄色の鎧の兵、頬に散った生温かい赤、興奮した馬の筋肉の震え。怒号の坩堝と化しているはずの戦場で、独りブドウは無音の中にいた。そのくせ喉を通り抜ける空気の流れ、纏った甲冑の軋み、そういったものは普段より鋭敏に感じられる。まるで五感の全てが視覚と触覚に集約されてしまったかのような感覚。
 高揚する気分をブドウは自覚していた。あれこれと考えを巡らせる時間は終わった。後は目的を遂げるため突き進むのみ。
 前にいるのは見慣れない角ばった鎧だけ。背後から攻撃されないところを見ると、どうやら部下たちはきちんとついて来ているようだ。そのことにブドウは満足し、己の耳には聞こえない叫びを上げて愛馬を急かす。もっと早く、もっと深く。この壁の向こうには自分の助けを待っている人がいる。
 鉄色の兵の一人と目が合った。恐怖で眦まで見開かれた目。そこに映るのは笑みさえ浮かべた自分の顔だった。
 結局、戦いが好きなのだろう。
 血塗れた剣を兵の喉元に向けて構えながらブドウは思う。刃を振るい戦場を駆けるのは、策を巡らし思考の袋小路を彷徨うより余程性に合っている。実際に身体を動かしているという感覚が伴う分、自責の念も薄れる。兵を預かる立場としては失格かもしれないな、と自嘲気味に微笑んだ瞬間だった。
 わずかな隙に剣が跳ね上げられた。驚いて眼前の兵を見る。不恰好な鉄色を着た彼は、目どころか口さえも開けっ放しで喉笛から逸れた切っ先を呆然と見つめていた。その表情はブドウの剣を払いのける程の手練とはとても思えない。
 素早くブドウは視線を滑らせ、新たな敵手を探す。すぐに兵との間に割り込んだ長剣を見つけた。その柄を握るのは日に焼けた骨ばった手。
「行け」
 剣の持ち主は薄い唇をわずかに動かして平坦な声を紡ぎ出した。きょとんとした兵は、ようやく命拾いしたことを悟ったのか一度大きく痙攣した。
「あ、ありがとうございます、ススキさん!」
 いつの間にこんなに接近していたのだろう。背後にぴったりと馬を寄せたススキに言い置いて、兵は脱兎のごとく自軍の中へ潜り込む。すぐにその姿は同じ鉄色に紛れて見えなくなった。
 その声を合図に、戦場の喧騒がブドウの聴覚にも届くようになっていた。耳を聾するほどの剣戟や叫び声の中、身を守るために最低限の鎧しか纏っていない男に好戦的な笑みを投げる。
「へえ、あんたススキって名前だったのかい。顔は知ってたけど、そういや今まで名乗ってもらったことはなかったね」
 ススキは答えない。ブドウは作り笑いのまま、慎重に間合いを計る。
 これまでに何度か経験した中立地帯での自警団との衝突。その際、前任の副将帥から告げられた。長身の軽装騎兵が現れたら気をつけろと。皇帝軍の被害を拡大し続けてきた、要注意人物だと。
 不吉な言葉が外れることはなかった。当時は戦況を遠目から見守るだけだったブドウでさえ、二度目の出陣からはその姿を戦塵の中に探すことを覚えていた。実際に指揮を執るようになってからは尚更だ。
 その騎兵個人の武勲が突出しているわけではない。厄介なのは味方を正確に指揮し、たとえ劣勢であっても大多数が逃げ切ることが可能な程度に態勢を立て直せる統率力だった。彼がいればたとえ勝利を得られなくても、決して負けることはない。
 当然この戦いの最中も、ブドウはこの男の動向に注意していた。これまでは多くて千人程度の勢力での小競り合い、一人軽装の男は目に付いた。だが今回は膨大な友軍に紛れてなかなか見つからない。そうこうしているうちに前線は伸び切り、アカネを誘い込む罠が開いたのだった。
 よりによってこの時機に当たるとは。舌打ちをこらえてブドウは言葉を継ぐ。
「なあ、そこをどいちゃくれないか? 急いでいるんだ」
「それはできん。邪魔をするのが俺の役目だ」
 硬質の意思を映すかのように長い刃が光った。得物を構え直したススキが馬の腹を蹴る。咄嗟に跳ね上げたブドウの剣の柄に重い衝撃が伝わった。取り落とさないよう、慌てて強く握り込む。
「貴殿こそ退いてはどうだ。皇子を取り戻すのが目的ならば、まずは使者を立て話し合いの場を設けるのが筋だろう」
「そんな悠長なこと、言ってられるか」
 鋭く言葉を吐くのと同時に、ブドウは切っ先を返した。がっしりと組み合った刃の上下が入れ替わり、今度はススキが防御に回る。
「どうせお前たちは、あの子を利用して陛下と取引するつもりだろう」
 アザミの冷え冷えとした横顔がブドウの脳裏に浮かぶ。あの皇帝が末息子のために不利な条件を呑むとは思えなかった。縦しんば要求が通ったとしても、その後のアカネの皇都での立場は確実に悪くなる。それらを防ぐためには、どうあってもこの突撃でアカネの身柄を取り戻すしかなかった。
 二つの刃がぶつかるたび、乾いた金属音が鼓膜を叩く。打ち込みの数はブドウの方が多い。ススキはそれを受け流すだけで、攻撃してくる気配はない。
 積極的にブドウを倒すつもりはない。しかし進撃の邪魔はする。先程の言葉はそういう意味だったのだろう。後に続いていたはずの部下たちも、態勢を立て直した自警団によって前進を阻まれているようだ。ブドウを頂点に鋭角を描いていた突撃陣がみるみる押しつぶされていく。ブドウの顔に焦りがよぎった。
 その心を映すかのように、刃の輝きが鈍った。同時に背後から射していたはずの斜陽が翳る。ススキとの間合いを離して、ブドウは空を見上げた。雲ひとつなかったはずのそこにあったのは真っ黒な塊。不穏な雷鳴を轟かせながら瞬く間に膨張し、太陽を、戦場を覆っていく。
「剣を、納めよ」
 凛とした声が響いた。不思議なほど良く通るその声に、ブドウと同様に天候の急変に戸惑っていた兵たちが一斉に顔を上げる。鉄色と鋼色に塗りつぶされていた色彩の中、白銀の騎馬団がこちらに進んでくる。その中央には一際華奢な少年。その右手がつと上げられる。
 瞬間、雷光が閃いた。眩さに瞼を伏せる刹那、網膜に灼きついたのは輝く銀の髪。
 これが、魔法。これが、聖王。
 こみあげる畏怖をブドウは必死でこらえた。皇帝が与える恐怖とは明らかに違う、しかし人を跪かせるという意味ではまったく同質のその力。現に皇帝軍の中には武器を取り落としたまま戦意を喪失した様子の者さえいる。
「剣を納めよ」
 もう一度レンギョウが言う。同時に天空で轟音が鳴り響いた。思わず首をすくめたブドウの前に、ついに白銀の一団が辿り着く。
「ススキ、ご苦労だった。ここからは余の仕事だ。下がれ」
 一礼したススキが場を譲る。その剣は既に鞘に納められている。
 レンギョウがブドウへと顔を向けた。少女と見紛う程に幼く見える容貌は、人形のように整っている。周囲を護る兵のように鎧を着るでもなく、武器を持つでもなく。ただ威厳だけを纏ったその姿に、ブドウは完全に呑み込まれていた。青銀の射抜くような視線が言葉すら出せないブドウの顔をじっと見据える。やがてレンギョウは目線を下方に流した。その先には未だ抜き身のままの血で汚れた剣。そこでようやく、ブドウは刃を納めるどころか馬から下りてさえもいなかった事実に思い至る。
「しっ、失礼いたしました!」
 慌てて剣を納め、地に膝をつく。部下たちも同様だった。魔法にかかったかのように、皇帝軍が国王に跪く。
「咎めはせぬ。面を上げよ」
 レンギョウの言葉に、ブドウはただ首を横に振った。
「……では、このまま言う。此方に皇子アカネへの害意はない。時が来れば無事に帰すつもりだ。兵を退き、しばし待つが良い」
 ブドウの肩が震えた。レンギョウの言葉に嘘は感じられない。しかしそれでは不足だった。
 不利な取引の道具とされた瞬間から、皇帝はアカネを己にとって不要な存在と見做すだろう。その後に待つのは皇帝の黙殺を受けながらの飼い殺しの日々。父帝から見放される不遇を目の当たりにするのは、アオイの時だけで充分だった。
「畏れながら申し上げます、国王」
 顔を上げないままブドウが言う。雷鳴を背負う国王への畏怖から、その声はかすれている。
「皇子を捕らえられたのは皇帝陛下との話し合いのためと拝察します。しかし陛下の人となりを考えると、たとえ皇子の身柄と引き換えであろうとも、そちらの要望を伝えるのは難しいかと」
「それは、皇帝が皇子を見殺しにするという意味か?」
 ブドウの沈黙に答えを悟ったのだろう、レンギョウの声音に痛ましげな色が混じる。
「しかしこちらとしても、他に手段がないのだ。余の望みを直接皇帝に伝える術がない以上、多少強引にでも意思表示はせねばならぬ」
「ならば私が陛下への使者となります」
 口に出した瞬間、ブドウの中で何かがかちりと噛み合った。そう、要は国王側から要求を突きつけられるような事態に至った責任をアカネに背負わせなければいいという話なのだ。すべては副将帥である自分の独断であり、誤りであると。アザミ相手にそのような小細工がどの程度通じるのかは分からない。しかし人質を間に挟んだ取引と、身内から立った使者が国王との仲立ちを務めるのとでは事柄の意味と重さがまったく違ってくる。敵の手に落ちた皇子よりも、裏切りとさえ言える行為をしたブドウに非難は集まるだろう。
 己を犠牲にすれば、アカネを助けられる。ブドウは静かに覚悟を決めた。
「貴方の希望を陛下に伝え、それを実現するために最大限の努力をすることを誓いましょう。その代わり、皇子の身柄をこちらへ返していただきたい」
 しばらくレンギョウの返事はなかった。ブドウはじっと待つ。
「……余の望みは皇帝と会うことだ。国を預かる者同士が一度も顔を合わせずして、どうして戦という大事を収められよう。余らは互いについて知らないことが多すぎる」
 やがて落ちてきた声は苦渋を含んだ重いものだった。小さく溜息を吐いて、レンギョウは続ける。
「すまぬ。結局余の望みを叶える為には、誰かを利用せねばならないようだ」
 それは、これまでのどの言葉より彼の感情が込められているように聞こえた。緊張していたブドウの口許が緩む。たとえ天候を変えるほどの魔力を持った者であろうとも、レンギョウが一人の人間であることに違いはない。そう、彼はアサザの友人でもあるのだから。
「いいのですよ。大事の前の小事です。それに、そろそろ嫁に行くのも悪くないと思っていたところですし」
 初めてブドウは顔を上げた。戸惑ったような表情のレンギョウに笑って見せる。
「軍を辞めるのにいい口実ができました。どうかお気に病まれませんよう」


 大きな雷鳴が天幕を震わせた。先程までは快晴だったはずだ。何が起こっているのか確かめたくても、両腕を拘束されている状況ではそれもままならない。仕方なくアカネは地べたに座ったままの姿勢で、隅で沈黙を守る監視者に声を掛ける。
「あの、何が起こってるんですか?」
「……レンギョウ様がお力を使ってらっしゃるのでしょう」
 国王の側役だというその男の答えは短い。天幕に入ってからずっとその調子だった。自ら監視役を引き受けたにも関わらず、何を話しかけてもそっけない言葉しか返ってこない。人払いをしてあるらしく他に人の気配は感じられなかった。アカネは小さく息を吐いた。
 また低く雷が響く。これはレンギョウの力。すなわち魔法が今まさに揮われているということ。相手は勿論皇帝軍だ。その下にいるであろうブドウの顔を思い浮かべ、アカネの心は焦燥に駆られる。
 皇子と呼ばれ、将帥と呼ばれていながら、何もできない。何かを成すどころか、縄をかけられ監視されているこの現状。自己嫌悪に陥りそうになって、アカネは慌てて思考を止めた。今は思い悩むより先にやるべきことがあるはずだった。
「以前、皇都に見えた使者の方ですよね? たしか、コウリ殿とか」
 とりあえず情報を集めなければ。隙を見て脱出するにしろ、状況を把握できていないことには始まらない。まずは目の前の男から話を聞く。できることから始める、というのはアサザ譲りの流儀でもあった。
 今のところ唯一の情報源であるその男は、記憶の中の雄弁さとはまるで別人のようだ。その瞳の昏さに気後れを覚えつつ、殊更に明るい声でアカネは続ける。
「それにしても魔法とはすごい力なんですね。まんまとしてやられた僕が言うのも何ですけど」
 コウリの答えはない。構わずアカネは言葉を継いだ。
「風を起こしたり、雷を呼んだり。そんなことされちゃ、ちょっとくらい剣が巧くても仕方ないじゃないですか。反則ですよ。そんな相手が束になって出てこられたらたまったもんじゃないですよね」
「貴方は」
 ふいに割り込んだコウリの声に、咄嗟にアカネは口を噤む。
「貴方は何故、この状況でそんなことを話していられるのです? 貴方の置かれた現状と外の魔法、それらはまったく関係のないことではありませんか」
「関係なくはないですよ」
 少しむっとしてアカネが答える。
「僕の仲間が戦ってるんです。少しでも状況を知りたいと思うのは当然のことじゃないですか」
「仲間、ですか」
 天幕の中に澱む闇が濃くなったように思えるのは気のせいだろうか。その闇に紛れてゆらり、とコウリが立ち上がる。
「そんなに大事なものなのですか? 仲間だとか、友人だとかいうものは」
「当たり前じゃないですか」
「そうですか」
 ふと途切れたコウリの声に、アカネはひやりとしたものを感じた。拘束され敵陣の真ん中にいるはずの自分より、コウリの方が追い詰められた声音をしているのは何故だろう。心臓の拍動が加速するのが分かった。何か、とても嫌な感じがする。
 コウリが一歩を踏み出した。その右手から長いものが伸びている。訝しげにアカネが目を細めた瞬間。
 天幕の厚い布地を貫くほどの雷光が閃いた。長いものが光を弾き返す。その輝きは、最前目にしたイブキの薙刀と同じ種類のもの。今度こそ、アカネはぞっと身体を竦ませた。抜き身の刃は即ち、死の具現だった。
「あなたがたは危険だ。レンギョウ様にとって。国王領にとって」
 恐らく剣などろくに握ったこともないのだろう。装飾の多いそれはどちらかというと細身であったが、持ち慣れない重さに重心の定まらない切っ先が揺れている。それでもアカネに向けられた害意だけは明確だった。
「王家にとって、戦士に連なる者は敵であるべきなのです。ましてや皇帝の血を引く皇子など。危うい均衡の上にある王家を存続させるためには、友人など必要ない。王が特定の者に執着することなど、あってはならない」
 半ば自分に言い聞かせるようなその台詞を、アカネが気に留める余裕など無論なかった。必死に身をよじり、コウリとの距離を開けるため後退する。その努力を無にするかのように、両手に剣を持ち直したコウリが無造作にアカネに歩み寄る。
「アカネ殿。そして貴方の兄、アサザ殿。あなたがたは王家の在り方を根底から脅かす存在だ。レンギョウ様を、王家を守るためには消えてもらわねばならない」
 呼吸が荒くなるのが分かる。背中が何かに当たった。後ろ手に回された手の甲には分厚い布地の感触。——追い詰められた。
 いっぱいに見開いた視界の中、一撃目が降ってきた。左肩に激痛が走る。喉元で悲鳴を押し殺して、アカネは歯を食いしばった。
 何故。訊きたいことが怒涛のように頭の中に押し寄せてきた。しかしそのどれもが言葉にはならず、断片のまま意識をすり抜けていく。二撃目が来た。今度は辛うじて躱した。
 最早鼓動の響きは他の音を圧倒していた。まるで頭上にある雷鳴のように途切れず耳を聾し続けている。
 ふと引っかかるものを感じて、アカネは動きを止めた。雷。そうだ、コウリとて貴族の血を引く者のはず。幾度も降り注ぐ痛みの中、ようやく疑問が質問として形を成した。
「どうして、魔法を使わない?」
 声のかすれ具合に、アカネ自身が驚いた。いつの間にか、息をするのにも苦労するほど満身創痍になっていた。
 コウリとて似たようなものだ。息を乱し、返り血を浴び、これではどちらが攻撃をしているのか分からない。アカネが投じた問いにも答えるつもりはないらしい。
 己の問いに答えが返ってこなかった理由を、アカネは確信しつつあった。そう、コウリは魔法を使えないのだ。だからこそ強い魔力を持つレンギョウに拘り、王家に拘る。からくりを暴いたような気がして、アカネは声を上げて笑った。
「使えばいいじゃないか。僕は皇子だぞ。憎き戦士の一族を、王家の敵を、自慢の魔法で切り刻んでみればいいだろう」
 アカネの挑発に、コウリの目の色が変わった。不規則な呼吸の中、細かく震える刃を振り上げる。鍔元に飾られた血の色の紅玉がかたかたと音を立てた。その様を睨み据え、アカネは全身に走る痛みを無視して大きく息を吸った。
「何が貴族だ! 魔法で僕を殺すこともできないくせに!」
 その刹那、一際強い雷光が輝き、轟音が天幕を揺らした。


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<予告編>


「何故、このようなことを……」
天幕の中、レンギョウは言葉を失った。
動かない少年の身体、抜き身の刃を下げた側役の蒼白な横顔。
そのいずれもが、べったりした血色で汚れていた。

「私はあなたを許さない」
女将軍の目に宿るのは悲しみの涙か、憎悪の炎か。
還るべき皇都で、
更なる悲愴が待ち受けていることを彼女は未だ知らない。

『DOUBLE LORDS』承章14、はじまりの戦が、終わる。


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日常は基本ネタまみれ。
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