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書き散らした小説置き場。剣と魔法のファンタジー他いろいろ。
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 暑い暑い、夏だった。

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 黄色い草原を渡る熱風が中立地帯自警団が本拠にしている岩山にもぶつかる。風は斜面を駆け上がり、岩をくり抜いただけの窓に掛けられた布を揺らした。目の前まで舞い上がった布を指先で捕まえたシオンは、少し顔をしかめて椅子から立ち上がった。
「もう乾いちゃってる。今日も暑いから……」
 ぶつぶつ言いながらシオンは布を外し、用意してあった水桶に浸した。ざっと絞って元通り窓辺に吊るす。それだけで部屋に入る風は随分涼しくなった。
 小さく息を吐いて、シオンは椅子に座り直した。椅子の前には寝台が一台置いてある。シオンは少し身を乗り出して床に伏せている老人の様子を見た。固く閉じられた瞼はぴくりとも動かず、老人が目を覚ます気配はない。
「長——」
 もう三日、目を開いていない養い親にシオンは呼びかけた。握った手も半年以上の病床生活でかつての力強さを失い、今にも折れそうな枯れ枝のようだ。老い、病んだその顔からは生気が感じられない。その顔を濡らした布で拭くシオンの顔にも、いつもの元気は見られなかった。
 背後で、ばさりと布が動く音がした。
「長の様子はどうだ」
 シオンが振り返った先には旅装を纏ったススキがいた。戸板代わりの布を土埃で汚れた腕で払い、足音を立てずに病床に近づく。
「変わらないわ。ずっと眠ってる」
「そうか」
 老人を見下ろすススキをシオンは見上げる。病室の空気にかすかに焦げ臭い匂いが混じっていた。
「いつ帰ってきたの?」
「ついさっきだ」
 数日前に見たときより日に焼けた顔がわずかにしかめられる。
「予想していたよりも……ひどい状況だった」
「……そう」
 今年の夏は異常に暑い。例年なら力強い太陽の光と熱、それに時々の土砂降りを吸収して青々とする草原が、今年は枯れている。まず雨が降らない。丁度皇帝領からの援助が再開された頃から二ヶ月近く、大雨どころか通り雨さえ一滴も降っていない。最低限の生活用水は遥か北方の山岳地帯につながる地下水脈から湧く井戸で賄っているが、それも豊かなわけではない。
 草原は乾燥しきっていた。そこへ容赦のない夏の日差しが照りつける。
 当然のように野火が出た。ただでさえ水不足の人々にできるのは、せいぜいが火元周辺の草刈りと避難、それに自警団への連絡くらいのものだった。自警団にしても方々で上がる火の手全てに対応できるわけもなく、被災地の視察と物資の支給を兼ねての代表者派遣以外の活動はできないのが現状だった。
 そんな中、特にススキは本拠地にいるより視察に出ている日の方が多いほどに中立地帯中を駆け回っていた。自警団長代理としての休む間もない日々に、随分と疲れも溜まっているはずだ。それでも今、シオンの横に立つススキは普段と変わらない無表情で黙っている。それは下手な言葉で簡単にねぎらわれたりすることを拒んでいるようにも見えた。
「そういえば、ウイキョウはどうしたの? 一緒に出てったじゃない」
「スギとの連絡を取らせている。そろそろ定期報告の時期だったからな」
 そう、とだけ言ってシオンは窓の外に目を向けた。丁度その方向に皇都はある。
「スギは皇都育ちだ。ましてここ数年で随分と場数も踏んでいる。無駄な心配はするな」
 皇帝領や国王領から見れば、中立地帯は双方の警備の行き届かない無法地帯も同然の土地だ。事実、どちらかの領主の下で罪を犯した者は、多くが逃亡先に中立地帯を選ぶ。広大な草原に紛れてしまえば、追っ手は約定に阻まれて追跡できなくなる。自警団もそんな者どもを黙認していた。中立地帯に害がない限り、自警団が動く理由もない。
 十年程前に、まだ少年だったスギも皇都から逃れてきた。詳しい経緯は分からないが、何らかの事件に巻き込まれたらしい少年を長は本拠地に引き取ったのだった。
 その事情を知っているシオンは不機嫌にわかってるわよ、と言い返す。
「あんたのそーゆートコが直ったら、自慢のおにーちゃんって呼んであげてもいいのにね」
「悪いが直す気もそのように呼ばれる気もない」
 にべもないススキの返事にシオンが頬を膨らませた時、部屋の外から声が掛かった。
「失礼する」
 大きな身体を窮屈そうに縮めながら入ってきたのはウイキョウだった。長の方に丁寧に一礼した後、ススキに向き直る。
「スギとのつなぎは取れたか」
 はっ、と短く答え、ウイキョウは報告を始める。
「皇帝領にもこの暑さの影響が出ているようです。北部穀倉地帯は水不足と高温で少なからず被害を受けており、不作を見越した商人たちによって食糧全体が値上がりしているそうです」
 ススキの顔に苦いものが走る。
「ようやく援助が再開したものを……国王領の方はどうだ」
「レンからの手紙には特に何も書いてなかったよ。南部には湖が多いから、そこから水を引いているのかも」
 ウイキョウの代わりにシオンが答える。
「軍は? 皇帝軍はどうしている?」
「今のところは目立った動きなしとのこと。ですがこの先もそれが続くかは……」
 ススキが頷く。
「では、こちらもできる限りの食糧を確保しよう。どちらにせよ、この冬に食糧が足りなくなるのは確実だ。自領の分にさえ困っている皇帝領がこちらにまで回すとは考えにくい」
「それでは国王領からも仕入れを?」
「ああ。早速知り合いの商人を当たって——」
「ちょっと待ってよ!」
 二人の会話にひやりとしたものを感じて、シオンは慌てて割り込んだ。
「国王領から仕入れるのはまずいわよ。また皇帝に難癖つけられるかもしれないわ」
「今回は正式な売買取引だ。援助ではないのだから文句はつけられまい」
「そんな理屈が通じる相手じゃないってことくらい分かってるでしょ? 絶対口実にしてくるわよ、あいつ」
「その時はその時だ。どの道皇帝も食糧不足でろくに軍を動かせまい」
「でもっ……!」
 はっとシオンは言葉を飲み込んだ。シオンの視線を追うように長の床に向けられた男二人の目が大きくなる。そこには枯れきった腕が一本、口論を止めるかのように掲げられていた。
「やめよ。シオン、ススキ」
「長っ……」
 萎えた手が折れそうなほど強いシオンの握力に応えて、老人は弱い笑みを浮かべた。
「いつから起きて?」
「今さっきだがな。枕元であれだけ騒がれては寝るに寝られんよ」
 軽口をススキに返しつつ、老人はその後ろに立つ巨漢に目を向ける。
「ウイキョウよ、わしにはもうあまり時間がないようだ。すまんが、これから言い残すことの立会人に、なってくれんか」
 最後の方は切れ切れになった言葉に、ウイキョウは強く頷いた。目元だけで笑って、老人は呼吸を整える。
「ススキよ」
 返事の変わりにススキは老人の顔を覗き込む。
「今まで、わしの代理としての務め、苦労であった」
 小さく、ススキは頷く。
「皇帝との、戦は、起こりそうか?」
「今後の対応次第では」
 わずかの間、考え込むように老人は目を閉じた。
「ならば今後、おぬしは次の長を助け、これまで通り自警団の副長として務めを果たせ」
「なっ……」
 ススキはわずかに眉を上げただけ、驚きの声は別の口から上がった。
「長! なんでススキが次の長じゃないのよ!」
 身を引いたススキの位置に素早く入り込んで、シオンは涙目で老人に訴える。
「ススキ以外に誰が次の長をやれるっていうのよ。ススキ以外じゃ誰も長なんて納得しないわ」
「……それはどうかのう」
 老人はそっとシオンの頭に手を乗せた。乱れた息を整えながら、次の言葉を紡ぎ出す。
「武に秀でた者は、武に頼る。それがたとえ、最善の解決策でなくともな」
 実の子供に向けるような慈愛に満ちた目を、老人はススキに向けた。
「常の時ならばそれでも良い。牽制しあうことで避けられる争いもあろう。だが」
 老人の呼吸が早くなっている。
「争いになりそうな時にそのような者が立つと、戦以外の選択肢は見えなくなってしまう。戦とは、回避するべき全ての方策を尽くした後に、ようやく選ばれる手段でなければならんのだ」
 ウイキョウに、ススキに、シオンに、順番に老人の目が向けられる。
「シオン、お前なら、これから先、戦以外の道が、見つけられるかもしれぬ」
「何を言ってるのよ長、そんなこと……」
 老人の手が強くシオンの手を握る。
「次の長はおぬしだよ、シオン」
 頼んだぞ、と言った老人の手から、嘘のように力が抜け落ちた。もう涙を隠そうともしていないシオンが必死に老人の手を揺さぶる。
「長! 長ッ!!」
 老人の瞼が薄く開けられた。
「遺言は、終わったぞ。あとは、おぬしらに、任せる——」
 ゆっくりと老人の目が閉ざされる。最期の呼気がシオンの嗚咽に混じって耳に届いた時、ウイキョウは目を伏せ、ススキは長に向けて頭を下げた。
 ——これから、忙しくなる。
 養父を失った悲しみをひとまず脇において、ススキは先のことに思いをめぐらせた。
 長の代替わりを、国王に知らせなければならない。当然皇帝にもだが、ここに小さくはない問題があった。
「”山の民”……」
 はっとウイキョウが顔を上げる。目配せだけして、ススキは身を翻して部屋の出口へと向かった。ひとまずは多忙の幕開けとして、彼は本拠地の者に長の代替わりを伝えねばならなかった。


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