書き散らした小説置き場。剣と魔法のファンタジー他いろいろ。
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ビアンカの溜息が冷えた空気に溶ける。
「フライトに選ばれた奴——ポールよりもあたしは遅くまで残って訓練してたし、試験だってうまくいった。それなのに」
深く息をついて、ビアンカは顔を覆った。そのままずるずるとその場に座り込んでしまう。
「ああ、あたし、何言ってるんだろ。あんたたちにこんな愚痴こぼしたって何にもならないのに」
「……お姉さんは強い人だね。ライバルの悪口を言うこともできるのに、それを自分に許さないなんて」
穏やかに微笑んだまま、ニコルが言った。
「ねえ、もう少し肩の力を抜いてもいいんじゃないかな? 自分への厳しさも大切だけど、時々は優しくしてあげなきゃ疲れちゃうよ」
「うるさいサンタ。あんたに何が分かるっていうんだ」
肩に載せられたニコルの手を邪険に払って、ビアンカは立ち上がった。
「ばからしい。帰る」
「ちょっと待ってください」
丘を下りかけたビアンカの前に、トーンが立ちふさがった。
「いいのですか? ここで帰ってしまってはあなたの悲しみは癒されないままです。ベストを尽くして、それでも後悔しているのなら、最後にもうひとつくらいチャレンジしてみてもいいのではないですか?」
「そうだよ。ものはためしで僕たちのプレゼントを受け取ってもらえないかな。これまでお姉さんはすごく頑張ってきたんだから、僕としてもぜひ倖せになってほしいし」
「倖せ……だって?」
うん、とニコルが頷く。
「僕のプレゼントはね、あげた人の倖せのつながりでできているんだ。今年お姉さんにあげるプレゼントは去年のお客さんの倖せから作られたものだし、去年のお客さんのプレゼントはその前のお客さんの倖せから、っていう風にね」
だから、とニコルは続ける。
「お姉さんが僕らのプレゼントで倖せになれたら、それを僕らに少しだけ分けてほしいんだ。それを元にして、来年のお客さんのプレゼントが作られるから」
「へえ。あたしを倖せにできるっていう自信があるわけ?」
「うん。きっとね」
険のある視線を変えないビアンカに、ニコルは力の抜けるような笑みを向けた。その笑顔を見つめていたビアンカは、やがて根負けしたように首を振った。
「分かった。受け取ってやるよ。そこのトナカイが言うように、目の前にチャンスがあるのにやってみないってのは後味が悪いしな」
「ありがとう」
ニコルが嬉しそうに笑った。その心の底からのような笑みに、ビアンカは呆れる。
「普通、礼はもらう方が言うもんじゃないのか? あんたがあたしに言ってどうするんだよ」
「そんなことないよ。プレゼントをあげることがサンタの仕事だから。受け取ってもらって嬉しいのは僕も同じ」
返す言葉を失って、ビアンカは沈黙した。その目の前でニコルはトーンにくくりつけた橇に向き直った。橇の半分以上を占領した巨大な白い袋を漁りながらニコルが訊く。
「ねえ、お姉さんの名前は何ていうの?」
「……ビアンカ」
そう、とだけ答えたニコルは袋の中から一個の包みを取り出した。振り返って、一抱えはあるその包みをビアンカへと手渡す。
「ねえ、ビアンカは何で宇宙飛行士になろうと思ったの?」
「さっき言ったじゃないか。キャプテン・ポーラスタに憧れたからだって」
「うん。だけどそれって本当にはじめに思ったことなのかな? キャプテンの人柄を知ったのってもっと後のことなんじゃない?」
「……それは」
虚を突かれてビアンカは絶句した。そもそものはじまり。夢の最初はいつ、どこだっただろう?
「何でもそうだと思うけど、はじまりを覚えているかどうかって結構大事なことだと思うんだ。忘れちゃったのなら、思い出せるといいね」
返事をしようとした瞬間、ビアンカは包みが細かく震えているのに気づいて腕の中に目を落とした。長方形の箱は深い緑の包み紙で覆われ、シンプルな赤のループリボンが右上にくっついている。その包装紙がひとりでに開いていく。その隙間からのぞいた箱からは光の粒子があふれ出して、闇に慣れたビアンカの瞳を覆っていく。
「なっ……!」
ばさり、と音を立てて緑の紙が吹き飛んだ。箱の内側から膨れ上がった光が頬を撫でた瞬間、ビアンカはニコルの声を聞いた。
「君に優しい思い出と未来を。ハッピークリスマス、ビアンカ」
その先は光の洪水にまぎれて、聞こえなかった。
どこからか、懐かしい響きのチャイムが聞こえる。ビアンカはそっと目を開いた。真っ白な光が目に入ったが、先程目を灼いたものほど強くはない。ゆっくりと辺りを見回す。たくさんの椅子と机、それに幼さの残る声ではしゃぐ若者たち。どうやらここは学校のようだ。
「……なんだ、ここは?」
先程まで夜の訓練所近くの丘に立っていたはずだ。そう自分に確認しながら、ビアンカは怪訝な顔のままきょろきょろする。壁際に教師らしい姿が数人見える以外、大人は見当たらない。明らかにビアンカだけが浮いているはずなのに、周りにいる生徒たちが気にしている様子もなかった。
そこまで考えて、ふとビアンカは気づいた。
いや、違う。気にしないのではなく、見えていないのだ。
その証拠に、さっきから誰一人として目が合わない。ビアンカがいる場所を、まるで何もないかのように視線が素通りしていく。
何故こんな場所に。何故この場にいる人間に自分が見えていないのか。こんなことになった原因は、ひとつしか考えられなかった。
「なんなんだよ。あのサンタ、一体何をしたって言うんだよ!?」
半ばパニックになりながら、元凶の姿を探す。今は記憶の中のあの笑顔が悪魔のそれに思えた。
やがてビアンカは、見知った顔を見つけて動きを止めた。あのサンタでもトナカイでもなく、もっと身近な顔。
「……あたし?」
視線の先には、まだ子供の面影を残した自分自身の姿があった。他の生徒と違って友人と話すでもなく、ぽつんと一人すみっこに座っている。夢も希望もないといった風情の、退屈そうな眼差し。そう、確かに昔、そういう表情をしていたことがあった。
ビアンカは改めて周囲を見回した。椅子、机、教師や生徒の顔ぶれ、チャイムの音。そうと気づけばここがどこかはすぐに分かった。懐かしいはずだ。ここはビアンカが通っていたジュニアスクールの講堂だ。
「ここは、過去?」
そうとしか考えられなかった。
「ありえない、そんな非科学的なこと……」
ビアンカがぶつぶつと呟く間にも、講堂にはどんどん生徒が入ってくる。やがて席がいっぱいになり、厚い扉が閉められると徐々に場は静まっていった。
校長が壇に登ったのを見て、ビアンカは思考を中断して隅の方へと移動した。見えないと分かっていても、なんとなく中央にはいづらい。目の前に昔の自分を眺めながら、とりあえず校長の話が始まるのを待つ。
「えー、本日はお日柄もよくー」
毒にも薬にもならない声を聞き流しながら、ビアンカは再び考え込んだ。何がどうなって過去などに迷い込んだのかは分からない。しかし元の丘へ戻る方法も分からない以上、下手に動くのも良くないように思えた。ではどうすれば良いか。結論が出ないまま、ビアンカの考えは同じところをぐるぐると回り続ける。
「——というわけで本日の講演者キャプテン・ポーラスタにおいでいただいたわけであります」
いきなり耳に馴染んだ名前が飛び込んできた。思わず顔を上げる。壇上には面白おかしくもない校長の顔。しかし彼に呼ばれて、頭をかきながら演壇へと上っていく男を認めた瞬間、ビアンカの脈拍は跳ね上がった。
「キャプテン……?」
「あー、マイクテスマイクテス」
校長から譲られたマイクを指先で叩く男は、見慣れた顔より幾分若かった。驚いたまま固まっているビアンカに気づいた様子もなく、客席から上がった拍手に適当に応えつつ話し始める。
「その……何だ、俺はこんなところでしゃべっちゃいるが、実はそんなに偉いわけじゃない。ついでに言うと人前でしゃべるのは苦手だ」
開口一番の講演者の発言に、会場は笑いに包まれた。笑っていないのは二人のビアンカだけ。過去のビアンカはつまらなさそうに、現在のビアンカはかぶりを振って。
この頃、男は既に何度も飛行に成功しているはずだ。宇宙空間で成し遂げた実験の数々、その結果を踏まえたたくさんの論文、それらによって彼の科学者としての地位が確立しつつある時期であることを現在のビアンカは知っている。
同時に人前でしゃべることが苦手という言葉が本当だということも知っていた。仲間内のパーティーの席ですら、興の乗った訓練生からスピーチに指名されるたび逃げ回っていた姿を思い出し、わけもなくビアンカの胸が締めつけられる。
「昨日の夜どんなことを話そうかと色々考えてみたんだが、いつの間にか寝ちまってな。おまけに寝坊したもんだから、どうにもまとまらないままここに立つ羽目になった。仕方ないから開き直って、思いつくまま話をしようと思う。退屈だったらすまん」
再び笑いの起こった会場に笑顔を返して、男は演壇に身を乗り出した。
「皆に訊きたい。星を見るのは好きか?」
男の視線がまっすぐにビアンカに向けられる。その指が自分を指しているのを認めてビアンカはうろたえた。自分の姿が男には見えているのだろうか。
「そこのあんた、つまらなそうだな。俺の話には興味がないか?」
「……別に」
過去のビアンカが大きく息を吐いて答える。その口調はあくまで冷め切っていて、関心を持っていないことが明らかだ。その声を聞いて、ようやくビアンカは男が現在の自分を指したのではないことに気付いた。
「そうか。そりゃ残念だ。俺は大好きなんだがな」
苦笑を浮かべながら男が言う。
「ガキの頃から空を見上げるのが好きでな。それが高じて、今じゃメシの種だ。何にもない大平原で見る夜空や、宇宙から見た地球ってのはそりゃすごいもんだぜ。初めて見た時、俺はただただ圧倒されて声も出せなかった」
一拍の呼吸をおいて、男は言葉を継いだ。
「だが、何気なく毎晩見上げる空ってのも案外捨てたもんじゃない。街中でも明るい星なら観測できるし、運が良ければ流れ星だって見える。きれいなものを見るとちょっとしたイヤなことなんて忘れちまえるだろ?」
男の口調は生き生きと弾んでいる。本当に好きなことを話題にしているからだろう、男は何の衒いもない様子で演壇から生徒たちに語りかける。
「ここにいる全員が星を眺めるのが好きじゃなくても構わない。だが、せめてひとつくらいは日常の中で倖せを感じられるようなものを持っていてほしい。何かにつまずいた時、それが意外なほど大きなしるべになる。まるでいつも頭の上で光っている星のようにな」
過去のビアンカは不思議なものでも見るような目で壇上を見つめていた。事実、解らなかったのだ。何故そんなにひとつのことに夢中になれるのか。どうしたらこんなに熱っぽく語れるのか。——どうやったら、そんなものが見つかるのか。
男はビアンカの周りにはいない種類の大人だった。こういう風に己の心を表せる大人をビアンカは知らない。思い浮かぶのは勉強を強制するばかりでちっとも褒めてくれない顔ばかり。彼らはビアンカに夢を語るどころか、そんなものを描くことすら禁じているように見えた。
示された道を疑問を持たずに歩むことを求め、それ以外は悪いことだと頭ごなしに決めつける大人がビアンカは嫌いだった。誂えられた道をなぞるしかない毎日が退屈で、だからと言って逸れることもできない自分自身のことも。
大人になるとはそういうこと。諦めにも似た思いが巣食った心を抱え、日々を過ごすうちにだんだんとビアンカの気力は萎えていった。不確定な夢など望まずに、堅実な現実を過ごすこと。それは確かに倖せのひとつの形だろう。
だがそれは、全ての倖せの形ではない。
「どんなことに倖せを感じるかってのは人それぞれだ。好きなことは一人一人違うし、ものの考え方だって違う。今好きなことがあるなら、それを大事にしてほしい。もし何も心当たりがないのなら、見つかるまで探してほしい。それがあるかどうかで人の生き方は随分違ったものになる」
壇上の男の言葉は揺るぎない力に満ちていた。その力こそがビアンカを導く光だった。無気力だった自分のしるべとなり、宇宙を目指させたもの。
その証に過去のビアンカの表情が目に見えて変わっていた。頬を上気させ、じっと男の言葉に耳を傾けている。ビアンカは思い出す。この講演をきっかけに星に興味を持つようになったことを。男と同じ道を辿れば、ああいう大人になれると信じたことを。
「ここにいる皆がいずれしるべとなる星を見つけられるよう祈っている。実り多い未来を過ごしてくれ」
そう結んで、男はマイクから身を引いた。拍手の中、照れた様子で演壇を降りていく。ビアンカはゆっくりと目を閉じた。いつの間にか置き去りにしていた忘れ物を見つけた気分だった。
「フライトに選ばれた奴——ポールよりもあたしは遅くまで残って訓練してたし、試験だってうまくいった。それなのに」
深く息をついて、ビアンカは顔を覆った。そのままずるずるとその場に座り込んでしまう。
「ああ、あたし、何言ってるんだろ。あんたたちにこんな愚痴こぼしたって何にもならないのに」
「……お姉さんは強い人だね。ライバルの悪口を言うこともできるのに、それを自分に許さないなんて」
穏やかに微笑んだまま、ニコルが言った。
「ねえ、もう少し肩の力を抜いてもいいんじゃないかな? 自分への厳しさも大切だけど、時々は優しくしてあげなきゃ疲れちゃうよ」
「うるさいサンタ。あんたに何が分かるっていうんだ」
肩に載せられたニコルの手を邪険に払って、ビアンカは立ち上がった。
「ばからしい。帰る」
「ちょっと待ってください」
丘を下りかけたビアンカの前に、トーンが立ちふさがった。
「いいのですか? ここで帰ってしまってはあなたの悲しみは癒されないままです。ベストを尽くして、それでも後悔しているのなら、最後にもうひとつくらいチャレンジしてみてもいいのではないですか?」
「そうだよ。ものはためしで僕たちのプレゼントを受け取ってもらえないかな。これまでお姉さんはすごく頑張ってきたんだから、僕としてもぜひ倖せになってほしいし」
「倖せ……だって?」
うん、とニコルが頷く。
「僕のプレゼントはね、あげた人の倖せのつながりでできているんだ。今年お姉さんにあげるプレゼントは去年のお客さんの倖せから作られたものだし、去年のお客さんのプレゼントはその前のお客さんの倖せから、っていう風にね」
だから、とニコルは続ける。
「お姉さんが僕らのプレゼントで倖せになれたら、それを僕らに少しだけ分けてほしいんだ。それを元にして、来年のお客さんのプレゼントが作られるから」
「へえ。あたしを倖せにできるっていう自信があるわけ?」
「うん。きっとね」
険のある視線を変えないビアンカに、ニコルは力の抜けるような笑みを向けた。その笑顔を見つめていたビアンカは、やがて根負けしたように首を振った。
「分かった。受け取ってやるよ。そこのトナカイが言うように、目の前にチャンスがあるのにやってみないってのは後味が悪いしな」
「ありがとう」
ニコルが嬉しそうに笑った。その心の底からのような笑みに、ビアンカは呆れる。
「普通、礼はもらう方が言うもんじゃないのか? あんたがあたしに言ってどうするんだよ」
「そんなことないよ。プレゼントをあげることがサンタの仕事だから。受け取ってもらって嬉しいのは僕も同じ」
返す言葉を失って、ビアンカは沈黙した。その目の前でニコルはトーンにくくりつけた橇に向き直った。橇の半分以上を占領した巨大な白い袋を漁りながらニコルが訊く。
「ねえ、お姉さんの名前は何ていうの?」
「……ビアンカ」
そう、とだけ答えたニコルは袋の中から一個の包みを取り出した。振り返って、一抱えはあるその包みをビアンカへと手渡す。
「ねえ、ビアンカは何で宇宙飛行士になろうと思ったの?」
「さっき言ったじゃないか。キャプテン・ポーラスタに憧れたからだって」
「うん。だけどそれって本当にはじめに思ったことなのかな? キャプテンの人柄を知ったのってもっと後のことなんじゃない?」
「……それは」
虚を突かれてビアンカは絶句した。そもそものはじまり。夢の最初はいつ、どこだっただろう?
「何でもそうだと思うけど、はじまりを覚えているかどうかって結構大事なことだと思うんだ。忘れちゃったのなら、思い出せるといいね」
返事をしようとした瞬間、ビアンカは包みが細かく震えているのに気づいて腕の中に目を落とした。長方形の箱は深い緑の包み紙で覆われ、シンプルな赤のループリボンが右上にくっついている。その包装紙がひとりでに開いていく。その隙間からのぞいた箱からは光の粒子があふれ出して、闇に慣れたビアンカの瞳を覆っていく。
「なっ……!」
ばさり、と音を立てて緑の紙が吹き飛んだ。箱の内側から膨れ上がった光が頬を撫でた瞬間、ビアンカはニコルの声を聞いた。
「君に優しい思い出と未来を。ハッピークリスマス、ビアンカ」
その先は光の洪水にまぎれて、聞こえなかった。
どこからか、懐かしい響きのチャイムが聞こえる。ビアンカはそっと目を開いた。真っ白な光が目に入ったが、先程目を灼いたものほど強くはない。ゆっくりと辺りを見回す。たくさんの椅子と机、それに幼さの残る声ではしゃぐ若者たち。どうやらここは学校のようだ。
「……なんだ、ここは?」
先程まで夜の訓練所近くの丘に立っていたはずだ。そう自分に確認しながら、ビアンカは怪訝な顔のままきょろきょろする。壁際に教師らしい姿が数人見える以外、大人は見当たらない。明らかにビアンカだけが浮いているはずなのに、周りにいる生徒たちが気にしている様子もなかった。
そこまで考えて、ふとビアンカは気づいた。
いや、違う。気にしないのではなく、見えていないのだ。
その証拠に、さっきから誰一人として目が合わない。ビアンカがいる場所を、まるで何もないかのように視線が素通りしていく。
何故こんな場所に。何故この場にいる人間に自分が見えていないのか。こんなことになった原因は、ひとつしか考えられなかった。
「なんなんだよ。あのサンタ、一体何をしたって言うんだよ!?」
半ばパニックになりながら、元凶の姿を探す。今は記憶の中のあの笑顔が悪魔のそれに思えた。
やがてビアンカは、見知った顔を見つけて動きを止めた。あのサンタでもトナカイでもなく、もっと身近な顔。
「……あたし?」
視線の先には、まだ子供の面影を残した自分自身の姿があった。他の生徒と違って友人と話すでもなく、ぽつんと一人すみっこに座っている。夢も希望もないといった風情の、退屈そうな眼差し。そう、確かに昔、そういう表情をしていたことがあった。
ビアンカは改めて周囲を見回した。椅子、机、教師や生徒の顔ぶれ、チャイムの音。そうと気づけばここがどこかはすぐに分かった。懐かしいはずだ。ここはビアンカが通っていたジュニアスクールの講堂だ。
「ここは、過去?」
そうとしか考えられなかった。
「ありえない、そんな非科学的なこと……」
ビアンカがぶつぶつと呟く間にも、講堂にはどんどん生徒が入ってくる。やがて席がいっぱいになり、厚い扉が閉められると徐々に場は静まっていった。
校長が壇に登ったのを見て、ビアンカは思考を中断して隅の方へと移動した。見えないと分かっていても、なんとなく中央にはいづらい。目の前に昔の自分を眺めながら、とりあえず校長の話が始まるのを待つ。
「えー、本日はお日柄もよくー」
毒にも薬にもならない声を聞き流しながら、ビアンカは再び考え込んだ。何がどうなって過去などに迷い込んだのかは分からない。しかし元の丘へ戻る方法も分からない以上、下手に動くのも良くないように思えた。ではどうすれば良いか。結論が出ないまま、ビアンカの考えは同じところをぐるぐると回り続ける。
「——というわけで本日の講演者キャプテン・ポーラスタにおいでいただいたわけであります」
いきなり耳に馴染んだ名前が飛び込んできた。思わず顔を上げる。壇上には面白おかしくもない校長の顔。しかし彼に呼ばれて、頭をかきながら演壇へと上っていく男を認めた瞬間、ビアンカの脈拍は跳ね上がった。
「キャプテン……?」
「あー、マイクテスマイクテス」
校長から譲られたマイクを指先で叩く男は、見慣れた顔より幾分若かった。驚いたまま固まっているビアンカに気づいた様子もなく、客席から上がった拍手に適当に応えつつ話し始める。
「その……何だ、俺はこんなところでしゃべっちゃいるが、実はそんなに偉いわけじゃない。ついでに言うと人前でしゃべるのは苦手だ」
開口一番の講演者の発言に、会場は笑いに包まれた。笑っていないのは二人のビアンカだけ。過去のビアンカはつまらなさそうに、現在のビアンカはかぶりを振って。
この頃、男は既に何度も飛行に成功しているはずだ。宇宙空間で成し遂げた実験の数々、その結果を踏まえたたくさんの論文、それらによって彼の科学者としての地位が確立しつつある時期であることを現在のビアンカは知っている。
同時に人前でしゃべることが苦手という言葉が本当だということも知っていた。仲間内のパーティーの席ですら、興の乗った訓練生からスピーチに指名されるたび逃げ回っていた姿を思い出し、わけもなくビアンカの胸が締めつけられる。
「昨日の夜どんなことを話そうかと色々考えてみたんだが、いつの間にか寝ちまってな。おまけに寝坊したもんだから、どうにもまとまらないままここに立つ羽目になった。仕方ないから開き直って、思いつくまま話をしようと思う。退屈だったらすまん」
再び笑いの起こった会場に笑顔を返して、男は演壇に身を乗り出した。
「皆に訊きたい。星を見るのは好きか?」
男の視線がまっすぐにビアンカに向けられる。その指が自分を指しているのを認めてビアンカはうろたえた。自分の姿が男には見えているのだろうか。
「そこのあんた、つまらなそうだな。俺の話には興味がないか?」
「……別に」
過去のビアンカが大きく息を吐いて答える。その口調はあくまで冷め切っていて、関心を持っていないことが明らかだ。その声を聞いて、ようやくビアンカは男が現在の自分を指したのではないことに気付いた。
「そうか。そりゃ残念だ。俺は大好きなんだがな」
苦笑を浮かべながら男が言う。
「ガキの頃から空を見上げるのが好きでな。それが高じて、今じゃメシの種だ。何にもない大平原で見る夜空や、宇宙から見た地球ってのはそりゃすごいもんだぜ。初めて見た時、俺はただただ圧倒されて声も出せなかった」
一拍の呼吸をおいて、男は言葉を継いだ。
「だが、何気なく毎晩見上げる空ってのも案外捨てたもんじゃない。街中でも明るい星なら観測できるし、運が良ければ流れ星だって見える。きれいなものを見るとちょっとしたイヤなことなんて忘れちまえるだろ?」
男の口調は生き生きと弾んでいる。本当に好きなことを話題にしているからだろう、男は何の衒いもない様子で演壇から生徒たちに語りかける。
「ここにいる全員が星を眺めるのが好きじゃなくても構わない。だが、せめてひとつくらいは日常の中で倖せを感じられるようなものを持っていてほしい。何かにつまずいた時、それが意外なほど大きなしるべになる。まるでいつも頭の上で光っている星のようにな」
過去のビアンカは不思議なものでも見るような目で壇上を見つめていた。事実、解らなかったのだ。何故そんなにひとつのことに夢中になれるのか。どうしたらこんなに熱っぽく語れるのか。——どうやったら、そんなものが見つかるのか。
男はビアンカの周りにはいない種類の大人だった。こういう風に己の心を表せる大人をビアンカは知らない。思い浮かぶのは勉強を強制するばかりでちっとも褒めてくれない顔ばかり。彼らはビアンカに夢を語るどころか、そんなものを描くことすら禁じているように見えた。
示された道を疑問を持たずに歩むことを求め、それ以外は悪いことだと頭ごなしに決めつける大人がビアンカは嫌いだった。誂えられた道をなぞるしかない毎日が退屈で、だからと言って逸れることもできない自分自身のことも。
大人になるとはそういうこと。諦めにも似た思いが巣食った心を抱え、日々を過ごすうちにだんだんとビアンカの気力は萎えていった。不確定な夢など望まずに、堅実な現実を過ごすこと。それは確かに倖せのひとつの形だろう。
だがそれは、全ての倖せの形ではない。
「どんなことに倖せを感じるかってのは人それぞれだ。好きなことは一人一人違うし、ものの考え方だって違う。今好きなことがあるなら、それを大事にしてほしい。もし何も心当たりがないのなら、見つかるまで探してほしい。それがあるかどうかで人の生き方は随分違ったものになる」
壇上の男の言葉は揺るぎない力に満ちていた。その力こそがビアンカを導く光だった。無気力だった自分のしるべとなり、宇宙を目指させたもの。
その証に過去のビアンカの表情が目に見えて変わっていた。頬を上気させ、じっと男の言葉に耳を傾けている。ビアンカは思い出す。この講演をきっかけに星に興味を持つようになったことを。男と同じ道を辿れば、ああいう大人になれると信じたことを。
「ここにいる皆がいずれしるべとなる星を見つけられるよう祈っている。実り多い未来を過ごしてくれ」
そう結んで、男はマイクから身を引いた。拍手の中、照れた様子で演壇を降りていく。ビアンカはゆっくりと目を閉じた。いつの間にか置き去りにしていた忘れ物を見つけた気分だった。
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