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凛、と風鈴が鳴る。昨年祖母の故郷で買い求めた南部鉄器の鳴り物は硝子よりも重く、けれど澄んだ繊細な音色を響かせる。先代までの玻璃風鈴に比べ当然ながら頑丈で、軒先に吊るされたまま台風すら無傷でやり過ごした。
ぬるい夕暮れだった。湿気と熱気を同じだけ含んだ粘つく空気は時折思いついたように揺れて、風鈴の舌をくすぐってはまた止まる。くるくる回る短冊には、最近父が趣味にしている俳句が認められていた。もう何度読んだか分からないその文字を、ゆっくりと目で追いかける。
『夏草や 俺の頭も ふさふさに』
間違っても名句ではない。ただの願望である。それを堂々と誇らしげに自宅の軒先に吊るし、たまの帰省で寛いでいる息子の視界に何度も何度も執拗に侵入させるこの厚かましさ。というか、俺も将来あんな金柑頭になるのであろうかという恐怖でゆったり羽を伸ばすこともできやしない。何の嫌がらせだ。
なーお、と鼻にかかった甘い声がした。畳に転がったまま庭先に目を向けると、柔らかな曲線が魅力的な美女が俺を見つめていた。
「ミケ、来てたのか」
寝返りを打ってうつ伏せになり、俺は沓脱ぎ石の上に綺麗に座っている三毛猫へ手を伸ばす。しかしミケは俺の指先を軽く躱して身を翻し、短い尻尾を振って縁側の下へ潜り込んでしまった。
「なんなんだよ、ったく」
遠くからセミの鳴く声が聞こえる。一頃より随分大人しくなった音量に、もう夏も終わりなのだとふいに実感した。
今年の夏休みはいつもより少しだけ長かった。ゆっくりすることはできたが、その分日常へ戻るのが億劫だ。
「……ああ、帰りたくねぇな」
間の手を打つかのように風鈴が鳴った。祖母の新盆はついこの間済ませたばかりだ。送り火まできちんとやったのだが。
「なんだよ、ばあちゃんもあの世へ帰りたくないのか」
昨年の岩手への家族旅行が、祖母の最後の旅になった。いつも穏やかだった祖母が、故郷の景色に珍しくはしゃいでいたことを思い出す。旅行から帰った後、放っておかれたミケがひどくおかんむりでご機嫌を取るのが大変だったと電話で話したのが、最後の会話になった。
祖母の最期は眠るように穏やかだった。葬式の時にも涙は出なかった。新盆の法事の時も、親族の一人として淡々と役割をこなした。そういうものだと、割り切っていた。
なのに。
「……なんで」
今になって、涙が止まらないのだろう。南部の風鈴の響きがどうしようもなく耳に残って、とっくの昔に忘れたはずの記憶さえ呼び覚まされてしまう。
幼い日、叱られて涙をこらえていた時のこと。友達とけんかした時のこと。進学で故郷を離れることが決まった時のこと。
皆の前では強がっていたけれど、祖母だけはいつでも変わらぬ一言を俺にかけてくれた。
——泣いてしまえ。
風鈴の音と共に、昔のままの懐かしいしわがれ声が耳元で聞こえた気がした。